近代経営と仏教

近代経営と仏教

経営学が盛んになり、小説徳川家康がよく読まれるとの事。だが、それについて、著者の山岡荘八次は
「この本を書いたのは、若い意味で毎日、死んでいった特攻隊を毎日見て、どうして、こんな戦争が起こるのかと考えに考えたあげく、争いは所有欲に根ざしていると言うことを発見し、所有欲を解放した先人を訪ねた時、釈迦とフランス革命を見出し、さらに、300年の大平の礎を築いた家康に着目した」とのことである。

フランス革命と言うのは、人間が人間(奴隷)を解放した偉大な事業であった。
「人を自分の勝手のみにつかわない」
ということの偉大さをつくづく感じとった人こそ現代人である。だが、私たちは、何と人をーーー妻を子供を部下を自分の都合本位に使おうとしていることか!

そこに争いが起こる。むしろ、人につかえるものにこそ人は心からつかえてくれる。誠の主となろうとするならば、妻にも、子にも、部下にも、本真剣で「つかえる」決心をすることだ。

また、例えば、この鉄工所は、親父がふいごを吹いてツチを打って叩き上げた工場だとしがみついている事業主が多いが、そうした工場は、どうしても伸び悩んでいる。工場の利益を自分の利益とし人に取られまいと株の8割以上を持ち、表面、自分の給料を安くして税金を逃れようとあくせくしているところを一方踏み越えて、もはや工場は工場の物自分は一個の社長と、所有欲を解放するところに結果はしっかりと工場を把握し、自分の手で事業を発展させることができてくる。

これらは縁の遠い話ではない。農家だって今や先祖伝来の土地としがみつかず、土地を提供し、自分は1種の株主従業員となる決意をすべき時が近づいている。

偉大な教祖に私欲はなかった。過去において大きくなった寺の住職は、残してやるべき子供もなく、ただ寺のために自分を投げ出した。

菊池寛は文芸春樹の収支を全部発表した。そして「あいつは儲けていない」という信頼を得たのである。寺においても、会計を解放し、収支を発表するところに信頼感が湧く。

人や物を自分のものにせぬこと、これが近代経営の奥義であるが、それは3000年前、釈迦が説き実行した道である。仏教を見なおしたい。

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