避雷針

避雷針

避雷針とは面白い。文字通り考えると、雷を避ける針である。しかし、本当は雷を受けさせる針であり、正しく言えば「人間需要物避雷の為の受雷針」である。

それはともかく、雷を避けるために、帰って雷を受けることにその方法を見つけた人間の考えが愉快である。そして生活する上において、意味の深いヒントを与えてくれる。

私たちは、不幸や災難に対して、逃げることばかりを考えている。そして逃げられないと不平を言う。

目上の人に、今まで自分がしたこともない仕事を言いつけられたりすると、その場ではどうのこうのと言わずにおいてそこを下がってからぶつぶつ不平をもらし「できるものか」と同輩なんかに言いふらして、その目上の人の悪口を言ったりする。不平を言いながらやるものだからなかなかできず、しまいにはものを取ってぶっつけて、できないと言うことに喜びを見出し、できないようにできないようにしたりする。これでは不幸はおさまらない。

反対に、自分には無理のような仕事でも、その仕事に飛び込んでいけば案外に、事はたやすく解決する。「よしやろう」と言う気になれば、無理が無理でなくなり、そのことに対する道がずっと開けてくるのは不思議なほどである。無理だと思われる仕事も、避けようとせず、どうすればできるのですかと純粋に尋ね、それでもわからなかったら、もっと緻密に教えてもらうだけの気持ちがあれば必ずできよう。それでも無理であればそうしているうちに、言いつけた人も気づいてくれる。

口やかましい老人に悩んでいた人が
「ああいうのが、この老人の性分だ」
とのみこんでしまったら、かえって愉快に思えてきたと言っていた。

不幸というものは、逃げようとすると追いかけてくるが、捉えようとすると逃げるものである。雷の災いから逃れるにはまず雷の性質を知ることだ。そして大きい大地へ、さらりと受けさせることである。

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