とりつきもの

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もとから飼っている犬がいる。そこへ迷い犬がやってきた。飼い主が迷い犬を撫で擦ると、もとからの犬が普通でないやり方をして主人に媚びる。相手が弱いと見ると、噛み付いてやめない。どうも普通とは言えない。

商売敵が繁盛すると、その家に火をつけたりすることがある。美しいのがしゃくにさわるとエンサンをぶちかける。嫉妬がひどくなると、相手を不幸にするために、自分を犠牲にしかねない。

狐や狸が取り憑くというか、いざこざを起こしている人を見ると、何かが取り憑いているのではないかとしか思えないときがある。かつてアメリカ移民が失敗したのも、日本人同志の嫉妬のため、日本人同志がアメリカの警察に告発しあった結果だと言うから馬鹿らしい。「米の飯より隣の麦飯」と言うが、自分の家にどんなにご馳走があっても隣の麦飯がおいしく見えて、欲しくなると言うのも取り憑きものである。こんなときには眉に唾をつけてみよう。眉に唾をつけると目が涼しくなる。そして正気にかえる、と言うわけか。

よそのお店がことのほか、良いように見えるが、本当はどこともよく似たようなものである。小さい地所しか持たぬ人が、その地を埋め立てるためにモッコで土を運ぶのも、大きい地所を埋める人がトロッコで土を運ぶのも、その人なりの苦労と喜びがあるもので、結局、同じことなのである。常にご馳走を食べている人にはご馳走もご馳走でなくなるが麦飯を食べている人は、米の飯だけでもご馳走になるものだ。

順宮厚子さんが7,000,000円の支度で池田氏に嫁いだが、その時に新聞に「金のマキ絵のマナイタでもなく、米びつはやはりブリキ製。電気コンロがあろうとも、停電にでもなれば、バタバタやらなければならない」と書いていた。社会的不平等の中に人間の平等を発見するのも愉快なことだ
「食べられないブドウはスッパイ」(イソップ物語)
といった貧乏人根性ではいけないが、
「お殿様でも僕らでも、風呂に入る時や丸裸」
と言う考え方もあるのではなかろうか。

眉に唾をつけてみて、ひとつ、自分を高める工夫をしようではないか。

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