懺悔の文

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ひじり心は、おのれのあやまりを見抜き、あやまりを素直に認め、あやまりをわび抜く心である。

1人の居士は語り給う。
私が家を継いだ時、店は景気の波に乗って、ひとりでに繁盛していた。私は商いとはそのようなもの、それは自分の力だと思っていた。
私は若い者の常として、遊興にふける身となっていた。家のものは、それをなじったが、自分で儲けた金を自分が使うのに、何の文句があるかといったものだった。

ところが突然の不況。いつの間にか食材は重なり、店は動きが取れず、債権者に悩まされる毎日となったのである。
私は居留守を使い、
「ときには主人たるあなたが出てよ」
と言う妻の言葉にも
「わしは、金策に苦心しているのだ。それくらいはお前がしろ」
と責任を転換し、反対に金を貸している人には、けしからんぬとの思いをぶちまけた。私は万策を講じ、なんとか破産を免れようとしたが、如何様にもならなかった。

たまたま、私は紹介を得て、海を越えて、ある師を訪ね、教えをこうた。
師は不機嫌そうに黙ったままーーーしばらく経って
「自分がわがままをして、どうかしてくれと言った後で、誰ができるものですか…。投げ出すのですなぁ」
と、つぶやくように、だが、厳然たる響きを込めて、一言言われたのみ…。

帰途、私は腹立ちでいっぱいだった。「投げ出すくらいなら、海を越えてまで相談に行くものか」
と。しかし、家に帰って、することもなく思案にふけっているうちに、ふと
「師の言葉はなんと正直なことであろうか」
と思った。
「もとは自分にあった。その自分によって、どんなに迷惑をかけたことか、けしからんのは自分であった」
と思われてくると、私の心はなんともお詫びのしようのない思いにかきたてられてきた。
でも、なんともすることのできない自分。ただ、言われるままにさばいていただくより他になく、それは、どこまでも、償いきれるものではないことと思った。

次に債権者が来た時、私は進んで出迎えた。私の変化に妻は驚いた。私は、ありのままの気持ちを話した。妻は
「そうですヨ。くよくよしなさるな。また、やりなおしましょう」
と答えた。その時、妻との間に通った心と心の触れ合いは千万言以上のものだった。私は債権者に心からお詫びし、処置については一切お任せした。

こうして転身の生活が始まったが、思いもかけぬことに、かえって債権者より励まされ、再び店を起こすことができたが、その時与えた迷惑は、今も尾を引いて、私には、償いきれるものでは無いとの思いに駆られている。

まこと、ひじりは、おのれのあやまりを心から詫びる。さらに、優れたひじりは、己の気づかぬあやまりのあることを詫びる。

ある詩人は言った。
闇のある夜、私は裏へ出た。飛び交うホタルにハッと思った。私は家にいる妻を呼んだ。そそくさと出てきた妻は、うちわを手にしていた。蛍と聞いた瞬間、妻は捕まえることを思ったのである。
いつの間にすくったのであろうか非常な心ーーー気づかぬながら、いつしかできている心の歪みーーー。

決して、己を当たり前と思うな。当たり前と思うな。…当たり前と思うことほど間違いをこじらせ、争いの元となる事は無い。み仏は、水を水と見るのでさえ、それは人間としての歪みのなせる技とし、いろいろなものはどう見ているかしれないと教えている。

ひじりは、また、己が生きているだけにでも、多くのものを傷つけていることをすまなく思う。そして思わず踏みつけた虫にも驚いて詫びる。また、己の親1人にさえ尽くし得ぬ自分を思い、子供が無心に手折る草にも身のすくむ思いをする。

つくづく己を思うのに、多くのものを欲し、多くのことを企み、多くの人を思いのままにしようとしていることか。一度、手に入れたものを離すまいとする深い執着ーーー。
好き嫌いをつけ、己をよく見せようと言葉を飾り、膨れっ面をし、人を妬み、己にさわるものを悪しざまに思うわがままーーー。
言わねばならぬことを言わず、思いのままにならぬことを人のせいにして嘆き悲しむ深い愚痴ーーー。
それらは無始の昔よりのしきたりにそまり、気づかぬまでに染み付いたヒズミによって起こることをしみじみ思い、今ここに深く深く懺悔し奉る。
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞうしょあくごう)
皆由無始貪瞋痴(かいゆむしとんじんち)
従身語意之所生(じゅうしんごいししょしょう)
一切我今皆懺悔(いっさいがこんかいさんげ)

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