雪山(セッセン)の鳥

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火の方へ火の方へと飛んでいかないではおれない秋の虫。そして、身を焦がして死んでいく。虫たちは、それが身を焦がすものであることを教えてくれるものもいないし、また反省することもできない。もしも、さえぎるものがあれば、その隙間をかいくぐってまでも火に近づいていく。

ある人が病気になった。その病気にとって酒は大敵であった。彼は良くなったら、今度は酒を飲むまいと思った。養生の結果、彼は病気を克服した。しかし「まぁいっぱい」と勧められているうちに、いつか酒量を過ごしていった。彼は再び病気になってしまった。彼は再び、今度こそと思った。しかし、その今度は訪れることなく、世を去らねばならなかった。

雪山(セッセン)のふもとに1羽の鳥がいた。夜になると秋の夜の寒さを感じ、明日こそは巣を作ろうと思った。しかし、うららかな秋の日を迎えては、もう1日…と遊び戯れた。そして夜になると、また明日こそと思うのであった。しかし、急に訪れた寒さの為、その鳥は巣を作る暇もなく、凍え死んでしまったのである。(ひゆ経)

お釈迦様は、多くのものの、こうした心を悲しく思われて、どうかして、煩悩(ボンノウ)のままに動く心を押し止めようと、口をすっぱくして説き続けられた。しかし、多くの人にとっては、どうにもならない事は、ちょうど秋の虫のようである。まことに弱い人間。酒色に溺れ、賭け事に溺れ、一時の楽しみにふけって、本当に楽しくなる道を選ぼうとしない。

この人間の弱さを、この頃の考え方は、人間性として謳歌しているきらいがある。
「お互いに人間じゃないか」
と言う言葉は、他人の弱さに対する寛容の精神を説くものではあるが、むしろ、その言葉を容赦せず、もっと強くならねばならない。
「人は病気で死ぬのではなく自分で死ぬのである」と言っている。
はげみこそ不死の道、おこたりは死の道、おこたりにふける者は、いのちありとも、すでに死せるなり。(法句経)

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