捨てるということ

捨てるということ

無邪気で良いものを”娘”と書き、家を守るのを”嫁”といい、箒(ほうき)を持つのが”婦”であり”妻”である。乳房のある姿が”母”であり、鼻につくと”嬶(かかあ)”となって、そうなると、良く立って世話をしてくれる”妾(めかけ)”が欲しくなる。

姑と仲が悪くて主人とともに別居した主婦が、のちには主人とも仲が悪くなって家を飛び出した時、父親はこう忠告した。
「女には、妻、嫁、母の3つの立場がある。主人が悪くても家を守ってくれないか。せめて、まだ4つにしかならん末の子だけでも連れて見てやってくれないか。」
だが、その忠告を、却って泣き言と受け取ったその主婦は子供も捨てて出てしまった。こう思う切ない心に耐えられなくなった時は、あとの祭りだった。
主人が悪くても、家を守り姑たちに仕えて、最後には、主人をしっかりと自分の胸の中に捕まえた嫁もある。姑にひどく当たられ、主人に冷たい仕打ちをさせられても母一筋に幸福をつかんだ母もある。妻、嫁、母の3つに恵まれるのはこの上ないが、叶わぬ時も多かろう。その時、ただ1つでも、しっかり立場を守ってほしいものである。

実際には、理屈通りに分けられるものでないかもしれない。逆に言うならば、良い妻であってこそ、良き嫁、良き母たり得る。良き嫁でないものは良き妻ともなり得ない。すべては、わがままが災いの元になっているから…

画家の小倉遊亀(オグラユキ)さんは、小倉家に嫁する時、好きな絵の道を捨てきった。主人のためには、絵は二の次、三の次。「何かさせていただこうーーーお茶も汲みます掃除もします。風呂へ一緒に入って、体の隅々まで洗わせていただきます」と言う気持ちになった。
そのうち「お前も絵を描なくていいのかい」と主人から言ってくれた。短い時間だが、天下晴れての清々しい時間。主人に集中する力そのままに集中できたと言えるのか、絵が大事だと母に下着の洗濯までさせていたときには思ってみなかったほどに画心に集中でき、本格的な絵がかけるようになった。
「(わがままを)捨てるということが、こんなに心を楽に自由にするものかとは、その時初めて気がついたことだった」と語られている。
婦人週間の4月、新しい職場に着く4月。自分を捨て何か1つに自分を捧げるときに、かえって全てが生かされ、自分が生かされるというこの仏教の心をプレゼントしたい。

5月に入り自粛期間の延長もありますが、フレッシュな心持ちで手を合わせていきましょう。
自分の立場を意識することは重要事項を見極め優先させるためにも必要な考え方、是非実践してください🙏

法話集カテゴリの最新記事