ユニホーム

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ふるわなかった巨人軍にあって、1人気焔をあげ、ホームラン王と、打点王になった王選手だが、それには、それだけの精進があった。彼はグラウンドへ行くのに家からユニフォームのまま出たと言う。したがってそういう格好で、遊興の巷に道くさするわけにもいかず、家路を急ぐこととなり、酒から遠ざかったと言う。
確かに服装というものは、心構えや行動に影響するもので、私たち坊さんも僧服を着ていると、必然的に、それ相当のプライドを保つことになる。
また、サングラス(色眼鏡)をかけていると、人相がわからぬと思って、つい横へいになりやすい。
こういうことから形に表すことを、非常に重音出られたのが、お大師様である。
食うた餅より心もちとも言うが、ものには心を添えねばならぬと同時に、心にはものを添えてこそ本物だと、お大師様は考えられた。
目にものを見せることこそ究極だと仰せられた。
ある青年僧侶のこと、彼は両親に対して心から仕え、両親に対する孝情は、人にひけをとらないと思っていた。
しかし両親は、その心情をあまり感じ取っていない日ごろの口ぶりだった。その両親が今もうれしかったと口にする事は、彼が学校を休学している時、アルバイトによって得た金を妹にミシンでも買ってやってくれと渡したことであると言う。彼は思っているだけではダメ、形に表さなくてはと言っていた。
お大師様は、特に言葉に言い表すことを大切に思われた。病人や貧窮者に限って、さもセイのなさそうな話し方をするが、腹の底からの声を出すことが大切だと思う。そして言葉を明るく正しくすること。
それによって心も身体(行い)も明るく正しくなることを主張された。
日本人は言葉にすることが下手である。
子供を愛しているなら、1日に何度も名前を呼んであり、恋しい人あらば愛していることを、その折その時の言葉で語り、置いてある母にも母と言うのを繰り返したい。
願いは、御仏の前にはっきりと言葉として表すとき、ききめ多く銘記されるものである。

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