菩薩とは

菩薩とは

菩薩と如来の関係

菩薩とは

菩薩という言葉には2つのニュアンスがうまく交じり合っています。
一つは、悟りを求めて修行する者のことをいいます。
そしてもう一つは、人々の性格に応じでさまざまな姿で現れる如来の化身のことをいいます。
少しわかりにくいと思いますので別々に紐解いて説明させていただきたいと思います。

1.菩薩とは悟りを求めて修行する者

まず一つ目の菩薩の意味を見ていきたいと思います。
この「菩薩」という言葉の語源は、古代インドのサンスクリット語の「ボーディサットバ」です。
これが中国に伝来した際に音写されて「菩提薩埵(ぼだいさった)」となりました。
さらにこの「菩提薩埵」が日本では略されて「菩薩」と呼ばれるようになったのです。
菩提には「悟り」、薩埵には「生命あるものすべて」という意味があります。
つまり悟りを求めて修行する者のことを「菩薩」と呼ぶのです。
実は元来お坊さんは悟りを目指して修行をする菩薩なのです。
そしてこの世の生命あるものは皆、お坊さんにならずとも目覚めた瞬間から菩薩になることができるのです。
しかしながらお寺に行くと観音菩薩や地蔵菩薩などの特別な菩薩が祀ってあることにお気づきの方も多いと思います。

2.菩薩とは如来の化身

観音菩薩や地蔵菩薩などの名で呼ばれている菩薩は如来が姿を変えて我々の前に現れた者だといわれています。
如来なのに菩薩とは…いったいどういうことでしょう?
生まれ育ってきた環境も違えば人生経験も違う私たち人間(生命体)の感受性はさまざまです。
そんななか当然のごとく、如来の教えを聞くだけでは真理を理解できない場合がでてきてしまいます。
そんなとき如来は菩薩の形をとって身をもって優しくわかりやすく真理を教えてくださるのです。
数学の授業に例えてみましょう。
数学上の公式はある事象が積み重なって導き出された法則、つまり一種の真理といえます。
そして数学では何だかよくわからないものをXやYという言葉で表現します。
このことを踏まえて、学校ではじめてその概念を習う段階の生徒たちに向かって公式だけを暗記させたらどうなるでしょう。
公式の意味を一瞬で体得しあらゆる状況に応用できる生徒がクラスに何人現れるでしょう。
きっと私には理解できないと思います。
公式の成り立ちを授業で習い、実際にそこに具体的な数字を代入して考えてみないと最初の段階では公式というものすら理解できないものです。
こんなときノーベル賞の物理学賞を受賞したスゴーイ先生が目の前に現れて数学の専門用語を駆使して説明したのでは並の生徒は理解できません。
それを見越して生徒の立場までレベルを引き下げてわかりやすく教えてくれたら、この先生こそ第二の意味の菩薩だといえるでしょう。
論理的に言葉で説明するよりもこの身をもって具体的な事例で示してくれた方が理解しやすい場合があるものです。
そういったものを具体的に教えてくださるのが観音菩薩や地蔵菩薩なのです。

釈迦如来?釈迦菩薩?

悟りを開いたお釈迦様は如来とされています。
しかしながら修行中のお姿のお釈迦様の仏像を釈迦菩薩と呼ぶことがあります。
さて、密教では仏の性は全てのものに宿っているといわれています。そう考えると菩薩の中に如来の元が眠っていると思えてなりません。
そうやって菩薩行をしていると悟りを求めながら人々を救済する一方で、人々を救済して得られる悟りもあるものです。
1の意味の菩薩でも、ある瞬間だけ何か条件が当てはまって(如来が舞い降りて?)2の意味の菩薩になることがあると思います。
2の意味の菩薩になっても尚、真理を追い続けたりバランスを取り続けたりする1の菩薩の姿勢が必要だと思います。
悟りを開いても修行をし続けたお釈迦様のそういった姿勢を見習うために釈迦菩薩の像はあるのだと私は思います。
ノウマクサンマンダボダナンバク
オンアボキャシッテイアク

菩薩と如来の関係

菩薩とは

菩薩という言葉には2つのニュアンスがうまく交じり合っています。
一つは、悟りを求めて修行する者のことをいいます。
そしてもう一つは、人々の性格に応じでさまざまな姿で現れる如来の化身のことをいいます。
少しわかりにくいと思いますので別々に紐解いて説明させていただきたいと思います。

1.菩薩とは悟りを求めて修行する者

まず一つ目の菩薩の意味を見ていきたいと思います。
この「菩薩」という言葉の語源は、古代インドのサンスクリット語の「ボーディサットバ」です。
これが中国に伝来した際に音写されて「菩提薩埵(ぼだいさった)」となりました。
さらにこの「菩提薩埵」が日本では略されて「菩薩」と呼ばれるようになったのです。
菩提には「悟り」、薩埵には「生命あるものすべて」という意味があります。
つまり悟りを求めて修行する者のことを「菩薩」と呼ぶのです。
実は元来お坊さんは悟りを目指して修行をする菩薩なのです。
そしてこの世の生命あるものは皆、お坊さんにならずとも目覚めた瞬間から菩薩になることができるのです。
しかしながらお寺に行くと観音菩薩や地蔵菩薩などの特別な菩薩が祀ってあることにお気づきの方も多いと思います。

2.菩薩とは如来の化身

観音菩薩や地蔵菩薩などの名で呼ばれている菩薩は如来が姿を変えて我々の前に現れた者だといわれています。
如来なのに菩薩とは…いったいどういうことでしょう?
生まれ育ってきた環境も違えば人生経験も違う私たち人間(生命体)の感受性はさまざまです。
そんななか当然のごとく、如来の教えを聞くだけでは真理を理解できない場合がでてきてしまいます。
そんなとき如来は菩薩の形をとって身をもって優しくわかりやすく真理を教えてくださるのです。
数学の授業に例えてみましょう。
数学上の公式はある事象が積み重なって導き出された法則、つまり一種の真理といえます。
そして数学では何だかよくわからないものをXやYという言葉で表現します。
このことを踏まえて、学校ではじめてその概念を習う段階の生徒たちに向かって公式だけを暗記させたらどうなるでしょう。
公式の意味を一瞬で体得しあらゆる状況に応用できる生徒がクラスに何人現れるでしょう。
きっと私には理解できないと思います。
公式の成り立ちを授業で習い、実際にそこに具体的な数字を代入して考えてみないと最初の段階では公式というものすら理解できないものです。
こんなときノーベル賞の物理学賞を受賞したスゴーイ先生が目の前に現れて数学の専門用語を駆使して説明したのでは並の生徒は理解できません。
それを見越して生徒の立場までレベルを引き下げてわかりやすく教えてくれたら、この先生こそ第二の意味の菩薩だといえるでしょう。
論理的に言葉で説明するよりもこの身をもって具体的な事例で示してくれた方が理解しやすい場合があるものです。
そういったものを具体的に教えてくださるのが観音菩薩や地蔵菩薩なのです。

釈迦如来?釈迦菩薩?

悟りを開いたお釈迦様は如来とされています。
しかしながら修行中のお姿のお釈迦様の仏像を釈迦菩薩と呼ぶことがあります。
さて、密教では仏の性は全てのものに宿っているといわれています。そう考えると菩薩の中に如来の元が眠っていると思えてなりません。
そうやって菩薩行をしていると悟りを求めながら人々を救済する一方で、人々を救済して得られる悟りもあるものです。
1の意味の菩薩でも、ある瞬間だけ何か条件が当てはまって(如来が舞い降りて?)2の意味の菩薩になることがあると思います。
2の意味の菩薩になっても尚、真理を追い続けたりバランスを取り続けたりする1の菩薩の姿勢が必要だと思います。
悟りを開いても修行をし続けたお釈迦様のそういった姿勢を見習うために釈迦菩薩の像はあるのだと私は思います。
ノウマクサンマンダボダナンバク
オンアボキャシッテイアク

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