四国八十八箇所霊場の第五十番札所 繁多寺

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繋多寺の山門

繁多寺

東山 瑠璃光院 繁多寺(はんたじ)は四国八十八箇所霊場の第五十番札所になっている真言宗豊山派のお寺です。

景観樹林保護地域に指定された景観にたたずむ境内はサクラ、藤、秋の紅葉の名所としても美しく多くの名僧の修行場として信仰を集めました。

天皇や将軍も一目置いた場所であり数々の歴史が残されています。

繋多寺の本堂

天皇家と繋がりの多い繁多寺

繁多寺は天皇家や将軍たちと非常に繋がりの多いお寺です。

まず開山の由縁が、天平勝宝年間に孝謙天皇(在位749〜58)の勅願により建てられたといわれています。

その後、寺は衰退してしまいますが弘法大師空海や源頼義、堯蓮という僧侶などの援助で幾度も再興されます。

さらには弘安2年(1279)に後宇多天皇の勅命を受けた聞月上人が、この繁多寺で蒙古軍の撃退を祈祷しています。

また応永2年(1395)には、天皇家の菩提寺でもある泉涌寺の快翁和尚が後小松天皇の勅命により第7世住職についています。

そして江戸時代には徳川家の帰依をうけ、四代将軍・家綱が念持仏としていた3体のうちの歓喜天を祀ったとされているのです。

16弁のご紋章がついた瓦

応永2年(1395)に後小松天皇の勅命により天皇家の菩提寺でもある泉涌寺26世の快翁和尚が第7世住職についたこともあり寺には16弁のご紋章がついた瓦が残っています。

多くの高僧が往持

繁多寺は多くの高僧が修行をした場所としても有名です。

行基菩薩との縁

本尊の薬師如来は秘仏で建立時に行基菩薩が彫造して安置したものといわれています。

弘法大師空海との縁

弘仁年間(810〜24)のいつごろか…弘法大師空海がこの地を巡錫し再建したといわれています。

その際に当初「光明寺」と号されていたものを「東山 繁多寺」と改めて霊場としたのだそうです。

一遍上人との縁

時宗の開祖の一遍上人もこの繁多寺で学問修行をしたと伝えられています。

一遍上人はこの繁多寺の付近、伊予国の豪族の出身で一説では26歳から33歳まで修行したとか約3ヶ月滞在したとかいわれています。

また一遍上人の亡くなる一年前の1288年(正応元年)には亡き父を偲び、亡父が所蔵していた『浄土三部経』をこの寺に奉納しているほどのゆかりがあります。

景観樹林保護地域に指定された景観

繁多寺の境内周辺は美しい自然の宝庫として景観樹林保護地区に指定されています。

お寺の境内が淡路山の中腹にあり山門から振り返ると松山城をはじめ、松山の市街、瀬戸内海まで一望でき綺麗です。

春はサクラや藤、秋は紅葉の名所としても知られています。

接待一万人の石柱

山門前にある寺名の石柱は10,000人のお遍路接待を成就した記念碑として建てられたものだそうです。

歓喜天堂

石の鳥居の奥にある歓喜天堂は、徳川4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天が祀られているお堂で、今でも厄除けや商売繁盛、合格祈願などの厚い信仰を集めています

1876年にこの歓喜天堂は火災にあって古物書などを焼失させてしまったそうですが現在は建て直された綺麗なお堂が建っています。

鐘楼堂の天井絵

繁多寺の鐘楼堂には見事な天井画が描かれています。

これは1696年に近年改修された際に描かれたもので「御伽草子」の挿絵24枚が描かれています。

鐘楼には1696年3月25日に法雲律師が願主となり多くの人から寄付を募り造られたものとして銘が刻まれています。

感謝の文

読んでくださってありがとうございました。

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