四国八十八箇所霊場第52番札所 太山寺

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龍雲山泰泉寺の山門

太山寺

瀧雲山 護持院 太山寺(りゅううんざん ごじいん たいさんじ)は四国八十八箇所霊場の第五十二番札所と伊予十三仏霊場の第三番札所にあたる真言宗智山派のお寺です。

大分から土木を運び一夜で建立されたといわれる立派な本堂は国宝に指定されています。

弘法大師空海も晩年に訪れ護摩を修法されています。
泰山寺の真野長者一夜建立の堂

真野長者の伝説

太山寺の開山には「真野長者の一夜建立のお堂」という伝説があります。

昔々、豊後(現在の大分県)に小五郎という男がいました。

小五郎は日頃から観音様を慕っていていつも拝んでいました。

そんなある日の夜、小五郎の夢にあるお告げがありました。

それは都の久我大臣の娘・顔全体に黒いあざがある王津姫と結婚せよとのことでした。

この夫婦は不思議なご縁でみるみる富を得て大富豪となりました。

そして小五郎の娘が用明天皇の妃に選ばれ、小五郎は真野長者と呼ばれるようになりました。

用明2年(587)、小五郎は商いのため船で大阪難波に向かうことになりました。

しかしながらこの航海の途中で大暴風雨に遭ってしまいます。

小五郎は必死に観音さまに無事を祈願したそうで、幸いにも高浜の岸で救われたのでした。

それから地元へ帰った小五郎は、観音様への報恩にとお堂の建立を志します。

地元豊後の工匠を集めて準備を整え再び高浜の地へ出ることになりました。

するとどうでしょう。

小五郎一同を乗せた舟は順風をうけて高浜に到着し、その勢いにのって一夜でお堂を完成させてしまったのだとか…

いらい太山寺の本堂は「一夜建立の御堂」の異名をもっているのです。

この真野長者(小五郎)は太山寺の他にも般若寺(周防)など多くの寺院を建立したといわれています。

現在、太山寺では真野長者の福徳を授かるため毎年4月第3日曜日に春の大祭が行われます。
泰山寺

国宝に指定された本堂

この一夜建立の本堂は長者の建立から三代目になりますが国宝に指定されています。

現行の本堂は嘉元3年(1305年)伊予国守護河野氏によって再建されたものになります。

とても立派なお堂で真言密教では最大規模といわれています。

7体の観音像

真野長者が一夜建立のお堂を建てた後、天平11年(739)に聖武天皇の勅願により行基菩薩が十一面観音像を彫造することになります。

行基菩薩は胎内に真野長者が瀧雲山で見つけた小さな観音像を納めて本尊にしたといわれています。

以後、後冷泉天皇をはじめ後三条、堀河、鳥羽、崇徳、近衛の6代にわたる各天皇によって十一面観音像が奉納され現在は7体の十一面観音像が本堂に祀られています。

ちなみに7体とも国の重要文化財に指定されています。

本堂以外にまつわる数々の有縁

  • 聖徳太子堂

厩戸王 (うまやどのおう)=聖徳太子は太山寺に帰依したと伝えられています。

このため太山寺には聖徳太子堂が建てられていて法隆寺と同じ聖徳太子像が祀られています。

ここに祀られている聖徳太子の像は、学業成就にご利益があるといわれ、多くの受験生から信仰を集めています。

幸せを「すくい上げていただく」ことから「しゃもじ」を奉納するのが慣わしとなっています。

  • ねじれ竹

太山寺に続く参道脇の旧遍路宿の庭に先端や根本がねじれ絡み合って生える竹が生息しています。

この「ねじれ竹」には、宿に泊まった不義の男女が金剛杖に使っていた青竹が突然ねじれ合い、それを植えたところ自生したという話が伝わっています。

  • ひきさき地蔵

山門の下には「ひきさき地蔵」と呼ばれるお地蔵さんが祀られています。

このお地蔵さんはある悲劇から弔いのために収められました。

その昔、太山寺の茶屋にいた美しい娘をめぐり、古三津の相撲取りと和気浜の力じまんの2人が娘を引っ張り合い死なせてしまったのだそうです。

その娘の魂を慰めるために、村人がこの「ひきさき地蔵」を作ったといわれています。

この他にも「力くらべの亀の石」や「健足石」など数々のスポットがあります。
泰山寺大師堂

感謝の文

読んでくださってありがとうございました。

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