四国八十八箇所霊場第五十四番札所 延命寺

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延命寺本堂

延命寺

近見山 宝鐘院 延命寺(ちかみざん ほうしょういん えんめいじ)は四国八十八箇所霊場の第五十四番札所にあたる真言宗豊山派の寺院です。

春になると見事な馬酔木(あせび)の花が咲き誇る境内には珍しい宝冠を被った不動明王像が祀られています。

また凝然上人が八宗綱要を説いた場所なので仏教を学ぶものにとってありがたい寺となっています。

延命寺の山門

53番札所と同じ名前の54番札所「円明寺」?

延命寺は、養老四年に聖武天皇の勅願を受けて行基菩薩が不動明王像を彫造して本尊として開山されました。

その後、嵯峨天皇の勅命を受けた弘法大師空海が伽藍を信仰と学問の中心道場として再興し「不動院・圓明寺」と名づけ勅願所としました。

この「圓明寺」の寺名は、一つ前の五十三番札所の圓明寺と同じ名前だったため多くの参拝者を惑わせたといわれています。

そんなことから江戸時代に「延命寺」の俗称がつき、明治時代に正式に「延命寺」となりました。
延命寺本尊宝冠不動明王

幾度の火災を逃れてきた宝冠不動

延命寺の本尊の不動明王像はとても珍しいものです。

通常不動明王像は頭の上に蓮台を載せている、もしくは何も載せていない像が一般的ですが延命寺の像はまた大日如来の化身ということを強く感じさせる宝冠を被っているのです。

そもそも行基菩薩が彫った不動明王像事態が珍しいといえます。

さらに驚くべきは、延命寺は幾度も火災にあい堂宇を焼失してしまいますが、この不動明王像は難を逃れ続けていることです。

実物は肉眼では確認できませんがお堂の外に石仏が祀られています。
延命寺本堂外の宝冠不動明王石造

凝然上人の供養塔

凝然上人が八宗網要を説いた寺

鎌倉時代の高僧、凝然大徳(ぎょうねんだいとく)が八宗綱要(はっしゅうこうよう)を著した場所としても延命寺は有名です。

凝然上人は仏教を学ぶ上で超重要人物とされる高僧で、インドと中国、日本の仏教の歴史をはじめ数々の研究をまとめた人物です。

その彼が説いた八宗綱要とは、倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳・浄土の各宗派の内容を上下2巻で記した仏教入門書といわれる名著です。

越智孫兵衛

元禄時代に越智孫兵衛という村の庄屋がいました。

彼は延命寺付近の村の年貢の取り立てが厳しいことを代官に直訴し年貢を減らすことに尽力した人物です。

そんななか享保17(1732)年、日本は大飢饉に見舞われます。西国では1万2000人もの餓死者がでたといわれています。

しかしながら年貢の軽減が行われたこの地は1人の餓死者もでなかったといわれています。

以来毎年8月7日には、孫兵衛の慰霊祭が地元の人々によって営まれています。

そして今でも越智孫兵衛の墓が鐘楼の横に祀られています。
延命寺の馬酔木あせび

感謝の文

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