見栄と嫉妬とお金と愛と

●この記事に共感したらシェアしてください

広告域

高級車を乗り回すお坊さんについてあなたはどう思いますか?

お坊さんになってお坊さんにまつわる話がよく耳に入ってくるようになりました。

高級外車に乗っているお坊さんをときどき見かけます。

そんなお坊さんをみて「あんな車で檀家周りに来られたら嫌やなぁ」とか「あんなお坊さんに高いお布施を払いたくないなぁ」という人がいます。

「お坊さんなのだからもっと質素倹約した生活をしろ」と思っている人も多い事でしょう。

そんなこともあり「無難」な車を選んでいるお坊さんも少なくないようです。

しかしながらこんな意見を持っている人もいます。

「みっともない車でお葬式に来てほしくないわ」とか「少しでも立派なお坊さんに拝んでほしい」とか…

この違いは何なのでしょうか?

高級車の画像

人間はモノに想いを込める

多くの人は「嫉妬心」と「見栄心」をもっています。

そしてお金に特別な感情を抱いているものです。

ただの紙切れであってもみんなの共通の認識があればお金と呼ばれる力を持ち、さまざまな感情を発生させるのです。

実態のある“モノ”と実体のない“想い”

大人にもいえることですが多くの子供たちは、実際には返事をしないモノに感情があるかのように接することがあります。

布切れや石にまで話しかける場合もあります。

例えばくまのぬいぐるみにチューをしたりヒーローの人形を隣に座らせたりしたことがあなたにもあるのではないでしょうか?

かの有名サッカー漫画「キャプテン翼」の主人公、大空翼君は言いました。

「ボールはともだち こわくないよ」と

有名な野球選手たちが幼い頃グローブを抱いて寝ていたという話もよく耳にします。

そんななか先日、モーガン・フリーマンが司会進行を務めるNHKのテレビ番組「時空を超えて」の「人間にとって“神”とは何か?」という回を見ました。

この番組の中でおもしろい実験があったので紹介したいと思います。

心理学者ブルース・フッドが子供たちを対象に行った実験

まずは心理学者ブルース・フッドが子供たちを対象に行った実験です。
この実験は子供たちに宝物を持ってきてもらい子供たちの目の前で“全く同じ物を複製するマシーン”に入れて宝物を二つにして返すとどのような反応を示すかというものです。

(実際には機械の中に人が入っておりあらかじめ用意しておいた宝物と同じ商品を付け足して出すだけです。)

結果、子供たちは新しく複製された宝物を捨て元の宝物を大事にすることがわかりました。
同じ商品でも、そこには違う意味が込められているのです。

心理学者ブルース・フッドの別の実験

心理学者ブルース・フッドは別の実験も行っています。
集会に来た大衆に「私の宝物です。実はこれは“アインシュタインが使っていたペン”なんです。」といってペンを見せるというものです。

するとみんな食い入るように関心を寄せてくれることがわかりました。

次に「私は一風変わったものを持っています。実はこれは昔アメリカで連続殺人を犯し人肉を食っていた“連続殺人犯のセーター”なんです。」とセーターを渡します。

するとみんな嫌がってサッサと次の人に回そうとすることがわかりました。

実際には「アインシュタインが使っていた」とか「連続殺人犯の」とかは嘘で何の変哲もない新品のペンとセーターにもかかわらず人はモノに清らかさや汚さを感じているのです。

またちょっとした意味を一言付け加えられただけで物の価値が大きく変わってしまうこともお分かりいただけるでしょう。

神経神学者アンディ・ニューバーグの実験

次に紹介する神経神学者アンディ・ニューバーグの実験は私にとって最も興味深いものでした。
信仰心を持つ人と無神論者を集めて脳に電極を付け祈っているときの脳波をチェックするというものです。

実験の結果、信仰心を持つ人と無神論者では全く別の反応が現れました。

信仰心を持つ人が「祈り」を捧げるとき脳の前頭葉と言語中枢が活発に働くことがわかりました。

特に仏教徒に限ってはお経を読んでいるとき視覚野までもが活発に働くことがわかりました。

一方の無神論者はお経を唱えさせても神様を念じさせても脳波はほとんど変わらないことがわかったのでした。

祈ったからといって何も変わらない?

前頭葉は自分の置かれている状況を認識したり計画を立てて実行に移したり行動の選択肢を広げたり結果を評価したりする役割を担う場所です。

言語中枢は言語を、視覚野は視覚を送受信する場所です。

つまり問題を抱えている人が祈りの力によって解決に向かうことも論理的に考えられるといえるでしょう。

会話をすることによって自分の頭の中を整理したり考えていることを書き出して視覚化したりすることで私たちは多くの問題を解決しています。

本気で祈っているとき私たちはまだよくわかっていない力を生み出しているのではないでしょうか。

何をどう感じるかは人それぞれの“考え方”にかかっている

  • 見栄を張って現状より一歩先を目指す人
  • 見栄を張って無駄遣いをする人
  • 嫉妬して人を引きずり降ろそうとする人
  • 嫉妬して自分を鼓舞する人

同じ行動をとっていても内面が違えば全く違った力が生まれます。

セーターもボールもお金もペンも車も…仏像さえもモノです。

されどモノです。

「清らかな想い」を込めて扱うことが正しい使い道なのかもしれませんね。

もし買い物をするときお金の使い道に困ったら…仏様に祈ってみるのもよいかもしれません。

買っても買わなくても後悔しない道が開かれることでしょう。

感謝の文

読んでくださってありがとうございました。

●この記事に共感したらシェアしてください

●お得な情報や新着情報を随時更新していますのでフォロー試してみてください

PR