「浄心」という仏教用語を聞いてあなたはどんなことを連想しますか?
仏教には「浄心」という用語があります。
読んで字のごとく「きよらかなこころ」のことです。
いい言葉だなぁ
私も浄心を持ちたいなぁ
きっとあなたもなんとなくそう感じてくださることでしょう。
煩悩まみれの自分には浄心なんて無理などと考えてはいけません。
今回はこの「浄心」について一緒に考えていただきたいと思います。
どうすれば浄心できる?
さて、心を浄めるためにはどうすればよいと思いますか?
瞑想すればよいのでしょうか?
お経を唱えればよいのでしょうか?
あなたに堅固なる信心をもってほしい
毎朝仏壇に手を合わせたり四国八十八か所を巡礼したり教会のミサに通ったりする人たちのことを想像してみてください。
たしかに彼らのことを考えてみるとどこか浄心を持ち合わせているように感じられます。
ではなぜそう感じられるのでしょうか?
それはきっと彼らが揺るぎないものを一つ心に持ち合わせているからだと私は思います。
「ご先祖様が見てらっしゃるから恥じるような行為は慎もうと思います。」
「聖書にこう書かれているので私は争いごとに参加しません。」
「お大師様がついてくださっているから大丈夫。」
彼らからはそんな言葉がよく発せられます。
彼らは神様や仏様が示した生きる指針を一つの糧にして、信じて行動の基盤にしているのです。
信心にある十種の徳
仏教では「信心には十種の徳がある」と説かれています。
信心とは信じる心、信仰心のことです。
その信心に備わる10の功徳について一つ一つに考えてみてください。
信心にある十種の徳
- 澄浄 (ちょうじょう)の徳
澄み切った美しい心を持つことができる - 決定 (けつじょう)の徳
迷いを払拭することができる - 歓喜 (かんぎ)の徳
素直に喜ぶことを推奨しうれいや悩みを減らすことができる - 無厭 (むえん)の徳
嫌ったりなまけたりする心を断つことができる - 随喜 (ずいき)の徳
嫉み心をなくし他人の善行を素直に讃嘆できる - 尊重 (そんちょう)の徳
他人の特性を尊重し軽視することがなくなる - 随順 (ずいじゅん)の徳
見聞きする所に逆らうことがなくなる - 讃歎 (さんたん)の徳
他の勝行を称賛することができる - 不壊 (ふえ)の徳
心が不動になる。全ての事柄を心に深くとどめて忘失することがなくなる - 愛楽 (あいぎょう)の徳
慈悲の心が生まれる
これは何も仏教に限らずとも何か一つ信じるものを見つけることで得られる徳といえるのではないでしょうか。
例えば映画の主人公として描かれる英雄たちはどんな宗教を信仰しているのか特定されていないことが多いものです
ただ彼らには強い信念が備わっています。
多くの映画のストーリーはヒーローが自分を信じることによって迷いや悩みを克服する構成になっていて、観客の私たちはそんなヒーローたちを美しいと感じるのです。(そんな彼らには澄浄の徳が備わっているのです。)
彼らは他人を蹴落としたりしない上に感情が豊かで慈悲の心を持ち合わせています。(歓喜の徳や愛楽の徳、尊重の徳などほとんどの徳が備わっているのです。)
仏教の教えを直接引用しているわけではなくとも「信心による十種の徳」がうまい具合に描かれているのです。
仏教というと瞑想とか読経というイメージがパッと思い浮かぶかもしれませんが、それらは具体的な一つの手段でしかないと私は思っています。
別に瞑想や読経をしなくてもよいのです。
大事なのは自分自身と向き合い何か堅固なる信心を持つことです。
すると心があらわれはじめるのです。
「信」という字を訓読みすると「マコト」と読むことができます。この文字には「真実の」という意味が含まれています。
自分の真の気持ちと向き合い、それを認めること。そしてそれを信じること。
そうするとあなたの奥底に隠れていたものが表れます。
そして迷いや矛盾が取り去られていき気持ちが洗われます。
総じて思考と行動と言動が一致し始めます。
これこそが心を浄めるということでしょう。
結果、あなたは願いを叶えることができるようになるのです。
昔の本を読んでいると「心に宗教を持て」とよく書かれています。
それはキリスト教徒とかイスラム教徒とか仏教とかいう特定の宗教活動への入信を強要しているのではありません。
あなたの心の中に宿っている“菩提心”や“仏性”、“神”と呼ばれる部分としっかりと向き合うことをしてほしいと切に願っているのです。
そして国や社会、世界をよくしてほしいと訴えているのです。
もし具体的にどうしたらよいのかわからない場合はお経を読んだり瞑想をしたり、何かそういう“修行”と呼ばれる時間を設けてみるのも良いかもしれません。
上戸学園(現瀬戸内短期大学)を創設し初代校長に就任した私の祖母、上戸コトエの好きな言葉に「神心一如」というものがあります。
「心身一如」からの造語ですが素晴らしい言葉だと思います。
神と心は一つの如しということです。
絶対不壊の浄心を持ち続けられるようあなたの内側にいらっしゃる“神様”としっかり対話する時間を設けてほしいと思います。