自殺を無くす方法を2年がかりで本気で考えてみた

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自殺根絶方法論

あなたは自殺について考えたことがありますか?

自殺という深刻な問題の現状(導入)

あなたは自殺について時間をかけて考えたことがありますか?

私は自殺についていろいろ考えるようになって「自殺をなくしたい」と考えている人が世の中にたくさんいることに驚きました。

なぜなら彼らのメッセージはそれまで私の耳にはほとんど入ってくることがなかったからです。

厚生労働省をはじめ、さまざまな非営利団体や精神科医、心理学者、哲学者、僧侶などたくさんの人が自殺について何かしらのメッセージを発信しています。

しかしながら自殺を考えるほどの大きな悩みを抱えている人や自殺者の遺族関係者に彼らはアプローチをかけるだけで、直接自殺に関与していない他の人は蚊帳の外のように感じられるのです。

たしかに今まで自殺を考えたこともなかったような人たちに自殺について日頃から考えるように説くのも酷な話かもしれません。なぜなら今まで日常生活のなかに自殺という発想すらなかった人に自殺について考えさせるよう仕向けると心理学的な見解から憂鬱な感情を芽生えさせ新たな自殺者を誘発してしまう危険性があることも一理あるからです。

ただし、そんななか私は自殺に関する本を読んでいる内に、実際に自殺者を減らすためには一人ひとりが生きることについて真剣に考え“社会環境”を良い方向へ変える必要があることも知りました。

もし悲惨な自殺が発生しない社会の必要性を認めてくださるならこれから書き記す内容についてあなたも一緒に考えてほしいと思います。

【目次】

自殺って何だろう?

自殺とは

自殺とは一体なんなのか、まずここが明確になっていなければ根絶方法を議論することもできません。

自殺とは、フランスの偉大な社会学者デュルケームの著書「自殺論」のなかでは次のように定義されています。

“当の受難者自身によってなされた積極的・消極的行為から直接、間接に生じるいっさいの死を、自殺と名づける。”

簡単にいうと自分で自分の命を絶つことですがこの言葉の奥にはとても深い意味があるように感じます。

そこでここでは、日本の武士にあったとされる切腹のような風習による自殺はひとまず考えないこととし、生きたい願望があるにもかかわらず困難から逃れるための選択肢が死しか思い浮かばなくなってしまった場合の自殺について考えたいと思います。

H10以前と以後の自殺者数マップ

平成10年ごろから急激に増加した日本の自殺問題

この自殺が今、社会的な問題になっています。

近年、日本人の20代・30代の死因で最も多いのが自殺だといわれているからです。

その多さは二番目に多い死因(=事故死)の約2倍です。諸外国と比較しても日本は群を抜いて自殺者数が多い統計が発表されています。

グーグルのツールを使って調べると「自殺」というキーワードは、毎月約13万5千件も検索されていることがわかります。そのなかには電話相談をすることもためらってしまうほど一人でモンモンと悩んでいる人から自殺未遂者の気持ちを理解したいと思っている人まで様々な立場の人たちが混在しているのでしょうが、この数字は自殺について無視してはいけないという警告のようにも感じられます。

自殺をなくす方法について考える(方法論)

1.みんなが自殺に対して考えることで社会環境を変える

自殺の芽を生やすものは何か?

自殺の芽は日々の生活のどこに潜んでいるのか

統計的に自殺について調べていくと意外なことが見えてきます。

例えば、6月の始めから8月の終わりまでを夏として3ヶ月ごとに季節を定めたら圧倒的に夏に自殺数が増えることが世界的に共通するとわかっています。(6月、7月、5月は要注意月といわれています。)次いで春、秋の順で冬は最も自殺数が減る季節だといわれています。

これは日本にも当てはまり、6月は自殺が最も多いという統計が出ています。

一部ではロシアを筆頭に寒い地域で自殺が多いといわれていますが、このことから気温と自殺の相関は低いと考えられます。

対して、太陽が出ている時間が長くなり、人と接する活動が盛んになる期間に何か問題があるのかもしれないという仮説がなりたちます。

これは季節だけでなく曜日にもあてはまります。実は自殺は土日に少なく月曜日に多くなるというデータもあるのです。これは休日に嫌なことから開放されていた気持ちが一気にしぼんでしまうせいではないかといわれていますが外出先での対人関係も深く影響し合っていると考えられます。昔から自殺者は女性よりも男性の方が圧倒的に多いことからも社会的な構造が自殺と密接に関係しているのではないかと考えることができるのです。(対人関係と一口にいっても“嫌な人と付き合わないといけない”という悩みから“みんなの雰囲気に馴染んでいけない”という悩みまで様々な視点があります。)

さらに社会の構造や周囲の環境がいちじるしく変化するときに自殺が増える傾向にあるともいわれています。

この意見を日本の例に考えると、自殺者が急増した平成10年ごろ学習指導要領が変更され“ゆとり”という文化が広まり土曜日が休日になった経緯があるのは偶然の一致とは思えなくなりました。

振り返ってみると、個人主義の精神が浸透する中、これまで週6日かけて達成していた業績を5日で求められるサラリーマンや急激な学習指導要領の変化に対応しなければいけない教諭などの胃の痛みは大変なものだったのではないでしょうか。

歴史的に見て、国家の経済的状況が貧しい時代であっても豊かな時代であっても自殺はおこっています。それよりは社会構造のいちじるしい“変化”に多くの人が耐えられるかどうかによって自殺は増減しているのです。

つまりこれらのことから、自殺を減少させるためには一見自殺とは無関係に思われる人たちも含めて良好な人間関係を築ける社会形成が非常に重要なポイントになってくることがわかってきます。

個人が集まって社会ができる

2.社会は個人の集合体―――個々人が自殺の根源を克服する術を知る

自殺者の抱える悩みは何か?

社会全体が良好な人間関係を築くためには一人ひとりが心の問題に対処できるようになる必要があります。

なぜなら個々人の心が発端となって個々人の行動が生まれ、それが合わさって社会が出来上がっていくからです。

そこで私はまず自殺者の心境を理解しようと努めることにしました。

なぜなら自殺者の心を理解しない限り理解してもらえる対処法は生まれないと考えたからです。ここからはしばらく個々人の自殺願望が芽生える原因と心境の変化などに焦点をあてて考えていきたいと思います。

自殺をしようと思う人はどんな悩みを抱えているのでしょうか?

  • 病魔にむしばまれていく自分がやるせない
  • 大切な人の負担になりたくない
  • 夫・妻・恋人との仲がうまくいっていない
  • 家族の愛情を感じられない
  • お金に困っている
  • 仕事がうまくいっていない
  • 他人(ライバル視している人)より自分に劣等感を感じる
  •  欲しい物があっても手に入らない
  • 休日に遊ぶ人がいない
  • 友達にいじめられている
  • 所属する組織に精神的に追い込まれてしまっている
  • これまでの人生を振り返ると自分自身に腹が立つ
  • 信頼していたはずの人に裏切られた

自殺の原因となる対象はこのほかにもまだまだあると思います。

ちなみに2010年の日本の統計によると、自殺者の遺言などにより動機が特定できたもののなかでも特に多かった自殺理由は1.健康問題(病気)、2.経済・生活問題(貧困)、3.家庭問題、4.勤務問題(仕事・職場の人間関係)だったと書かれてあります。

この4つの項目だけを考えても精神的なものから肉体的なものまで様々な原因を想像することができます。

これらの理由で自殺を志すほど深刻に悩んだことが私にはないので軽々しく自殺者の気持ちを理解できるとはいえませんが、自殺をしようと思う人の苦しみを想像するだけでも胸が苦しくなってきます。

心のふり幅を知る

悲しむ人が自殺に至る変化

自殺と絶望

上記の例の他にも自殺の原因として関係のありそうな事実はいくつかありました。

しかしながら統計や遺言をもとに彼らの心境を調べていても自殺の原因を特定することは難しいということもわかってきました。

なぜなら、そこまで精神が追い込まれるまでには様々な要因が複雑に絡み合っているからです。

例えば人間の深層心理は本人すらも自覚していないことが多々あるものです。更年期障害を抱えている人やうつ病の傾向のある人は無自覚の内に自己嫌悪におちいっていることも少なくありません。

また、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」の冒頭にもあるように「幸せな家庭はどれも似通っているが、不幸な家庭はそれぞれ違っている」ものなのです。自殺した人たちの家族関係、健康状態、経済状況、仕事内容、所有物、遊び方、友達、敵などをいくら比較してもそれぞれの自殺の芽がどこにどのように潜んでいるのかを特定するのは難しいでしょう。これでは法則性を見出すのが非常に困難です。

そもそも私には自殺の経験がないので、自殺者の身になって理解しようとしても彼らの苦しみを真に理解することはできないのかもしれないとすら思うようになってきました。

ただ色々調べていく内に、意識的にせよ無意識的にせよこれらの事象に共通するポイントが一つだけあると私は思うようになりました。

その共通点とは、対象がなんであれ自殺にいきつく人は“強い絶望”を抱いているということです。

自殺に関する本を読んでいると必ずといってよいほどこの“絶望”という二文字が目につくからです。特に決定的だったのが上記でも紹介した『自殺論』の序盤にある“自殺とはなによりもまず、もはや生きることを望まない人間の絶望的な行為である”という一文でした。

絶望とは(3つの絶望状態について)

絶望とは、望みが絶えている状態をいいます。

デンマークの哲学者キェルケゴールは絶望のことを『死に至る病』といったほどです。彼はその著書のなかで絶望には次のような3つの状態があると説いています。

絶望状態を見極める質問

あなたは(1)、(2-1)、(2-2)どの状態?

1.「自己が絶望していることに気がついていない」状態

幸せな人たちの多くは、まさか自分が絶望しているなんて考えたこともないと思います。

しかしながらほとんど全ての人は絶望を抱えて生きているものです。

なぜなら彼らの多くは身の回りで起こる物事を自然に割り切って行動しているからです。

例えばプロのスポーツ選手になるなんて夢物語なのだから大学で部活動なんてやっても無駄だと決め付けている高校球児がどれほどたくさんいることでしょう。

そうやって自ら望みを絶っていることに気づいてすらいないのです。

かつて織田信長が天下布武を掲げ日本を統一しようと野心を抱いた時代、多くの武将が天下を取りたいとは思いながらも、それは夢物語だと高をくくっていたのと同じです。彼らは、自分でも気づかぬうちに絶望し行動すらおこさなかったのです。

これが行き過ぎると日々の生活に活気を生み出すことが困難になってしまいます。

もしかすると同じようなことが毎日繰り返される生活に飽き飽きして自分が生きていることに疑問を抱くようになった人も多いのではないでしょうか。

2.「自己が絶望していると知っている」状態

「自己が絶望していることに気がついていない」人に対して「自己が絶望していると知っている」人がいます。そして自分が絶望していることを意識している人は次のいずれかの状態に分別されます。

2-1.「絶望して自己自身でいるのがイヤになっている」状態

自己自身を欲することができず「もし生まれ変わったら」などと考えてしまう人はこのタイプといえるでしょう。

つい他人と自分を比較してしまう性格の人は注意が必要です。何か自分に足りないものを発見してしまうと躓き(つまづき)を感じてしまうからです。

集団意識が高いこともあって孤独を感じると自分の欠点ばかりを探して自らできることの選択肢を無くしてしまうのです。

例えば職場で業績が振るわないときや恋人に愛想をつかされたときなどに「死をもって謝罪したい」とか「死んで人生をリセットさせたい」という考えがよぎったことがあるのならあなたもこの種の絶望を抱えている一人ということになります。

2-2.「絶望して自己自身でありたいと思っている」状態

向上心が強くて反省を繰り返した結果絶望してしまう人も多いことでしょう。

特に真面目にコツコツ仕事をこなす日本人にはこのタイプが目立ちます。

例えばいじめや虐待を受けた末に「自分が死ぬことによって相手に後悔の念を負わせたい」という意見を耳にしたことはないでしょうか。これは自分を正当化したい欲求があらわれているようにも解釈することができます。

私自身も強がって、人に指摘されたやり方が間違っていることを証明してみせたり頑なに自分の意見を通そうとして口論をしたりする性格なのでこの種の気持ちはよくわかるつもりです。

周囲の意見に耳を傾けることを避け「私は絶望などしていない」「私は間違ってない」と言い切ってしまう人もこのタイプといえるでしょう。(―――あとになって反省させられることも私には多々あります。)

自分自身であろうと欲するがゆえに強情を張って自分を苦しめてしまうことがあるのです。

絶望が生まれる状況

さらにキェルケゴールは絶望が生まれる状況についても言及しています。

永遠的なものを感じているとき

私たちはどうしようもない状況に置かれると絶望を感じます。

例えば心の底から望んだものが永遠に手に入らないとわかったとき、その必然性を受け入れることができないと他の選択肢が思いつかないほど追い込まれてしまいます。

必死にアプローチを続けていても結果がともなわないことは多々あります。ずっと平行線をたどるどころか反って逆効果になってしまうこともあるほどです。

こうなるとなかなか頭を切り替えて可能性を見出すことができなくなってしまいます。

“永遠を感じて”しまうのです。

永遠的なものを感じられないとき

しかしながら私たちは“永遠を感じられない”場合にも心が不安定になってしまうことがあります。

もし永遠の愛を信じていた相手との恋愛が終わってしまったらどれほどの絶望を味わうでしょうか。

そう信じられる相手が私にもいたとして、もしそうなったらきっと自分自身に可能性を見出すことができなくなり私のアイデンティティーは崩壊してしまうと思います。

もし永遠に輝き続けると思って買った何千万円もするダイヤモンドが突然ただの石ころになってしまい全く価値のないものになってしまったら…それもまたひどく落胆することだと思います。(“ダイヤモンドは永遠の輝き”というCMが昔ありました。)

信じていた“永遠”を感じられなくなってしまったときにも絶望を感じてしまうのです。

もしかすると「どうせいつかは死ぬものだ」と思って、生きることをバカらしく感じたことがあなたにもあるのではないでしょうか。

ここまでの絶望論から考察するに、この“永遠” (有限性と無限性)のバランスをとることが精神と肉体を保つ上で重要なカギになると考えることができます。

自殺が減少するとき

自殺願望を断ち切ってより良く生きる方法はないのでしょうか。

興味深いことに特定の状況下では自殺率が低くなる現象が確認されています。

家族がたくさんの成員を含んでいるほど自殺者が少ない

親密な家族がたくさんいるほど自殺者は出にくいことが確認されています。単純に一緒に暮らしている人数が多いほうが自殺率を減少させるともいわれています。

反対に、家族が離れ離れになってしまった家庭や子供が早くに家を出た家庭、両親が離婚した家庭では自殺率が高くなる傾向にあるといわれています。

ただしあくまで確率の話なので全ての人が家族構成を理由に自殺を考えるようになるわけではありません。

大戦時には自殺者が少ない

意外にも戦争や扮装のとき自殺者の数が減ることがわかっています。国民が立ち上がって戦う政治的要素を含む対戦のときは自殺者が激減するのです。

その理由は集団意識が一つの目標に向かって統制されることで絶望を克服しているからだと考えられています。

また、何としても生き延びたいという想いが強くなるので自殺願望が起きないという意見もあります。

ただしクリミア戦争やイタリア戦争のような王朝間の戦争のときには自殺は増加傾向になっているため、戦争という事象自体に自殺をなくさせる力があると勘違いしてはいけません。

子供や老人には自殺者が少ない

幼い子供や老人に自殺する人は少ないといわれています。

これは彼らが集団生活の影響に縛られにくい傾向にあるからではないかと考えられます。

彼らは、他者にいろいろなことを求めようとしてもなかなか上手くいかないことを知っているものです。とりわけ子供は向上心が強く、できることとできないことを物凄い勢いで学習していきます。

このことから強情な男性の方が機転の利く女性よりも自殺する傾向が高いのも納得がいくのは私だけでしょうか。

ユダヤ教徒には自殺数が少ない

迫害を受けた人種としても知られるユダヤ人ですが意外にも自殺する人は希だといわれています。

幼い頃からユダヤ教徒としての教育が確立されている彼らは宗教集団の統制がとれているのが大きな理由だと考えられています。

また、ユダヤ式の教育を調べれば調べるほど個人の内に崇高な目標が根付いていくことがわかってきました。

さらに、世間的にみて少数派民族ということもあり何か悪い噂が立つとよろしくないので道徳心などが一層求められる環境下におかれたことも自殺が少ない理由にあげられます。

これらのことから世論に反対する意志が根付き、周囲からの悪口に免疫がつく傾向にあったようです。

ユダヤ教に限らず統合された規律のある宗教には自殺者が少ない傾向があることもわかっています。

これらの状況をみていると、絶望を克服するために必要なバランス(必然性を受け入れる場面と可能性を見出す場面の統制)のとれた状態がうまく作り出されているように感じられます。

もしこれらの絶望論が正しければ自分がどの状況にあるのかを自覚し崩れた心のバランスを整えることによって“自殺願望”を“生きる力”に変えることもできるのではないでしょうか?

自分がどの位置にいるのかを自覚する

自覚と絶望と自殺

実は、集団を守るために一人が犠牲になるような特別な状況を除いて人間以外の動物は自殺しないといわれています。

理由は定かではありませんが、これはおそらく人間だけがもつ特別な能力「自覚」があるからだと私は思います。

自覚とは、自分の考えそのものについて考える能力のことです。

動物の場合は本能的にエサを食べたり餌付けによって条件付けられたり経験記憶に囚われたりするせいで次に起こす反応が制限されるといわれています。

しかしながら人間の場合は、上記のような反応以外にも刺激と反応の間に選択の自由を生み出すことができるのです。

このとき“思い込み”が生じると“永遠”のバランスを崩して(必然性を受け入れられなかったり可能性を制限してしまったりして)反応が偏ってしまうことがあるのです。そして永遠のバランスを崩してしまったとき、原因は何にしても、自分自身のなかに虚しさや躓き(つまづき)、強情といった絶望が大きくなり自殺という選択肢にいきついてしまうのでしょう。

未来や過去を作り出す想像力を得た人間だからこそ、他の動物よりも苦悩してしまうのです。

もしこの定説が正しいものだとしたら今置かれている自分の現状を自覚した上でほんの少しの想像力をはたらかせることによって刺激に対する反応を苦しいものから楽しいものへと変化させることもできるのではないでしょうか。

絶望への理解

大きさは違えどもほとんどの人は絶望を抱えているものです。

私自身も絶望を感じることがよくあります。

友人や家族の期待に添えないときはいっそのこと縁を切ってどこか遠くへ行ってしまいたい気持ちにもなりますし、仕事がはかどらないときはダメな自分に腹が立ったりもします。

ちなみに今この原稿を書いている際の私は「絶望していると知っていて自己自身でありたいと思っている」状態を最も強く感じています。

あなたは、あなた自身が今どの絶望状態に近いと思いますか?

それぞれの絶望状態についてもう一度詳しくみていきたいと思います。

  1. 「自己が絶望していることに気がついていない」状態
  2. 「自己が絶望していると知っていて自己自身でいるのが嫌になっている」状態
  3. 「自己が絶望していると知っていて自己自身でありたいと思っている」状態
「自己が絶望していることに気がついていない」状態の人

例えどんな状況下でも「自分は幸せである」と思い込めば誰になんと言われようと幸福感を味わうことができます。一般的に多くの人が認識している“幸せ”はそういうものだと思います。

しかしながら実際にはその思い込みのせいで手放してしまっている幸福もあるものです。

自己犠牲の精神に基づき相手を満足させるために自分が負けを選ぶことで幸福感を味わうような人は自分でも気づかないうちにストレスを溜め込んでいることがあったりします。

幸福を感じているけれどただなんとなく無気力で気分がふさぎこんでしまうようなとき、それは自己が絶望していることに気がついていないだけかもしれません。

劣悪な環境を想像すれば自分がどれほど恵まれているかを感じることができます。しかしながら反対にさらなる高みが存在することもきっとあなたは知っているはずです。

どちらも比較すれば永遠にキリがありませんが、内なる自分自身ときちんと向き合って絶望の根源を探ってみるのも時に必要でしょう。

とりわけ若い人は未来に対して絶望する傾向があり、高齢者は過去に対して絶望する傾向が強いといわれています。あなたはこの種の絶望を感じてはいないでしょうか?

「絶望を意識的に感じていて自己自身でいるのがイヤになっている」状態の人(弱さの絶望)

さて、絶望を感じているとすればあなたはどんな感情を抱いているでしょうか。

ネガティブな感情を抱きやすい人は、自分が期待していたのとは違う状態におちいってしまったらきっと落胆してしまうことでしょう。

私もよく“運命の打撃”にやられると自分自身の無能さを痛感させられるものです。

例えば親に喜んでもらおうと思い時間をかけて丁寧に描いた絵をお母さんに軽くあしらわれてしまった子供の心はどれほど傷つくでしょうか。

きっとあなたには想像できることだろうと思います。

時間と労力をかけて必死の思いでやってきたことが水の泡のように費えてしまったときの絶望感。自分の力のなさを痛感させられたときの不甲斐なさや孤独感―――破滅的な思考におちいってしまうこともあるでしょう。

これが「自己自身でいるのがイヤになっている」状態です。キェルケゴールはこれを「弱さの絶望」と呼びました。

こんなとき私は、人のせいにしたりモノのせいにしたり、どうにかして自分を正当化したい思いになったりもします。

実はこれも「弱さの絶望」の一種です。いくら人のせいにしても結局は自己自身に絶望していることと同じでどうにもならない自分の弱さを露呈することになるのです。

これはまるで別れを告げられた恋人に対して絶望すればするほど自分の意識を相手に縛り付けているのと同じようなものです。

これはまるで可愛さ余って我が子を勘当する父親と同じようなものです。

結局は自ら心配事を増やしているのです。

こうなると後悔の念に自分から突入していくことになってしまいます。「若い頃はもっと情熱的だった」とか「あの頃は良かった」とか言って自分を責めているのと同じことになるのです。

そうやって何もできない自分に嫌気がさしてくるのです。あなたはこの種の絶望を感じてはいないでしょうか?

「絶望を意識的に感じて自己自身でありたいと思っている」状態の人(強情)

一方で、何にでも可能性や希望を見出すことができる人も注意が必要です。

なぜなら理想の自己を獲得しようとすればするほど絶望が強くなってしまうことがあるからです。

無限の可能性を感じることができるが故に全ての課題を自分で抱え込もうとしてやりたいことがいっぱいになってしまうのです。

まるで神様が天から自分を常にみているかのように自分の行動を自分で監視してしまう傾向があなたにはないでしょうか?

そうやって自分に厳しくしなければ何かを得てはいけないと感じていたならばあなたは「自己自身でありたいと思っている」状態かもしれません。

特に、完璧を追い求めストイックに物事に取り組む傾向の強い人はこの種の絶望に飲まれてしまう可能性があります。ストイックな人には自己の意識が強い傾向があるからです。

たしかに生きていく上で完璧を追い求める気持ちはとても大切です。

しかしながら完全体を目指すがゆえに迷路に迷い込んでしまうことが世の中にはしばしばあることを忘れてはいけません。

おそらくあなたは努力家なので迷路を進み続け、あと壁一枚隔てたところにゴール(真理)があるところまできています。ただしその壁は壊そうとしてもなかなか壊せるものではないのです。

あとほんの少し頑張れば今までの苦労が報われるところまできていると思い必死に壁を壊そうとしても不可能な場合もあるのです。

それでもこの種の絶望を抱いている人は自分で自分にルール(縛り)を課すことで自らに苦行を与えていることになかなか気づくことができません。自らに苦行を課すことで満足してしまう人もいます。

そんなとき執着心を捨てた瞬間にもっと良い道が見つかることが私にはしばしばあります。本来なら力の源になっていたものが逆に強情になり絶望の根源となっていることがよくあるのです。

自分を愛しすぎて強情になっているところがあなたにもあるのではないでしょうか。

生きることに疲れたとき、ときに我欲を捨てることでもっと大きな自分を発見できることがあります。

あなたはこの種の絶望を感じてはいないでしょうか?

バランスを取る

バランスの必要性
混在する3つの絶望状態

これら3種類の絶望は突き詰めて考えていくと私たちのなかに混在しているため対処方法を一つに絞り込むのは困難でしょう。

極端に一つの絶望にだけ対処しようとしてしまうと『“永遠”のバランス』を崩し新たな絶望を誘発してしまうことも考えられます。

「自己自身が絶望していると気がついていない」状態の人は、時間をかけて頑張ればできるかもしれないことでも永遠に無理だと決め付けてしまっていることがあるので日頃から「勇気さえあれば…」とか「お金さえあれば…」、「時間さえあれば…」、「才能さえあれば…」と諦めてしまっていることを認識し挑戦してみることも大切です。また、自分を甘やかしすぎるのもよくありません。

対して、「絶望を意識的に感じて自己自身でありたいと思っている」状態の人の中にはたくさんの問題を一手に引き受けてしまう傾向を持つ人がいるので、やることとやらないことを冷静に判断した上でやらないことを決めてあえて諦めること、できないと認めることも大切になります。過信は時に最大の敵になってしまいます。

ただし「自己自身でいるのがイヤになっている」状態の人は今の自分をもっと愛することも大切でしょう。

ネガティブな感情は思考を狭める効果があります。一方、ポジティブな感情は思考を広げる効果があります。ネガティブな感情は一見悪いように思われがちですが視点を変えると私たちが生きていく重要な役割を果たしていることがわかります。ポジティブ思考が良いとされる風潮がありますがときにはネガティブな情動も必要なのです。

心をバランスの取れた状態に保つために今のあなたの抱えている絶望に応じて思考をコントロールするべきなのです。

知・情・意の心

孔子の教えが広く普及した日本では古くから「知・情・意」の重要性が説かれてきました。

これは、人間の心を解剖すると知・情・意の三つに分けることができ「常識」が確立されていくという教えです。

  • 知とは、主に知恵のことです。人として知恵がなければ物の得失を見分けることができません。
  • 情とは、情熱や愛情などのことです。知識ばかり身についていても情がなければ行動も生まれず円満な解決ができません。
  • 意とは、主に意志のことです。情が必要だからといって感情に走りすぎると上足だって何も達成できなくなるので意志の力が必要です。しかしながら意志ばかり強くても知識や技量が伴わなければただの頑固者になってしまいます。

知と情と意という心のバランスを取りながら前進していかなければ常識的な判断能力を欠いてしまうのです。

絶望状態を和らげるための方法もこれと同じように絶妙な心のバランスを取り続けることが重要になると私は思います。

頭と身体のバランス

心のバランスをとるためには身体の動かし方にも注意を向ける必要があります。

休養には積極的休養と消極的休養があるのをご存じでしょうか。

きっとあなたも運動をして疲れたときには横になって身体をじっと休めるようにすると思います。これが消極的休養です。(ちなみに、上記で述べた“ネガティブ”という言葉と同じように“消極的”という言葉も悪い意味ではありません。)

対して、デスクワークなどじっとした体勢が長時間続くと血流が悪くなって目が疲れたり肩が凝ったりしてくるように、じっとしているのも疲れるのがわかると思います。

そんなときは軽い運動をした方がリラックスできることがわかっています。これが積極的休養です。

一般的に“休む”というと消極的休養のイメージを連想する人が多いと思います。

しかしながら休養にもバランスが重要になるのです。

さて突然ですが、ドッグトレーナーと警察犬の関係を想像してみてください。

犬に対して人間が過保護だと犬は人間をなめてかかって全く人間の言うことを聞いてくれなくなります。そうはいっても野生のようにやりたい放題やらせたからといって言うことを聞いてくれるわけではありません。

適切なコミュニケーションをとり続け、お互いにバランスのとれた信頼関係が成立したときにはじめて一人では実現できなかったことができるようになり相乗効果が生まれるのです。警察犬の場合は犯人逮捕につながる証拠を発見することがまさに信頼関係の賜物といえるでしょう。

ドッグトレーナーは情報を分析する“頭脳”の役割、犬は情報を捜査する“身体”の役割を果たしていると例えると、これと同じように私たちの精神を適度な状態に保つためには頭と体にもバランスのとれた信頼関係が必要だということがわかっていただけると思います。精神と肉体が一人の人間に別の人格を与えると仮定してみてください。頭でっかちになってもいけません。身体ばかり先立って動いてしまうのも良くありません。

精神と肉体の密接な関係

精神と肉体は私たちが想像している以上に密接につながっています。

精神が病んでいるだけで免疫機能が低下したり、身体が弱っているだけで集中力が低下したりします。

昔ある機関によって、『吐き気止めの薬を飲んでください』といって複数の妊婦さんに薬を飲んでもらい、吐き気からおこる胃の収縮を計測するという実験が行われました。

結果、見事にこの薬は吐き気を止める効果があることがわかりました。

しかしながら妊婦さんたちに服用してもらったこの薬は嘔吐の症状を強めるために作られた吐根剤なのでした。

つまり妊婦さんたちは嘔吐を抑えるためといいながら吐根剤を飲んだにも関わらず、「これは吐き気止めだ」と思い込んだだけで実際に吐き気を解消したのです。

このように偽薬を飲んでいるにも関わらず身体に変化が起こる現象をプラシーボ効果といいます。

精神と肉体はこれほどまでに密接にかかわりあっているのです。

ちなみに人体になんの影響もない偽薬を注射しただけなのに「有害物質を注射した」と伝えただけでショック死してしまった事件もあるほどです。(※これをノーシーボ効果といいます。)

このようなことからも精神と肉体が密接に関わっていることがわかっていただけると思います。

バランスの取り方案
身体を動かすことで心に影響を与える

プラシーボ効果のように精神が肉体に強い影響を与える例もあれば、肉体が精神に強い影響を与えることもわかっています。

例えばウォーキングやランニング、スキップ、ダンスなど一定のリズムを刻んだり飛び跳ねたりする運動は気持ちを高ぶらせる効果があることがわかっています。

スキップをしているときほとんどの人間は悲しい気分になることができないともいわれています。

もし気持ちがふさぎ込んでいて日頃運動をする習慣がないのなら今すぐ外に出て100メートル思いっきりスキップをしてみてください。

きっと気分が高揚するのを感じ自然と笑いがおこるはずです。

また、古来より日本の武士たちは下腹部を鍛錬することにより集中力を高めたといわれています。

例えば緊張を感じたとき呼吸を整え横隔膜を下げることで精神を集中させることができるのだそうです。

きっとあなたも、特にスポーツ選手は、全ての骨を正常なポジショニンに保つよう姿勢を変えるだけで生活のパフォーマンスを向上させ内面までも変化させることができるでしょう。

実際に、心が落ち込んでいるとき私たちは―――視線を下に向け頭をもたげ口角を下げ、肩を落とし背中を丸め溜息をつきます―――身体の使い方も落ち込んでいるのです。

このとき上を向いて背筋をシャッキっとするだけでも内面に大きな働きかけをすることができるのです。

考えすぎてしまう人 直感に頼りすぎる人
思考の許容範囲を集中させる

『クラッター化現象』という心理学用語があります。

これは情報が多すぎて脳が思考を停止してしまうことを表す言葉です。

買い物をするときにアレコレ沢山の似たような商品を比較していると結局どれを買っていいのかわからなくなった経験はありませんか。(※ちなみに、ある実験では、スーパーマーケットで主婦たちの顔にカメラを着け視線を考慮しながら脳の動きを測定したところ、多くの主婦たちが、金額や性能を考慮することを諦め一番目立つ商品を手に取ることがわかってきました。この無意識に起こる行動を利用してお店では売りたい商品の近くから音楽を流したり特設コーナーを作ったりといった工夫がなされています。ハッと思い当たる節はありませんか?)

もしあまり買い物に出かけた経験がなかったとしたら、夏休みの宿題で読書感想文を書かなければいけない状況下で分厚い本を目の前にして戦意喪失したことならあるかもしれません。

このように、一度に処理できないほどの膨大な情報量を目の前にしたとき私たちは方向性を見失い何から手をつけてよいのかわからなくなってしまうことがあるのです。

医師のドナルド・レデルマイヤーと心理学者のエルダー・シャフィールが考案した実験はとても興味深い結果を生みました。

二人はまず様々な病院に足を運び、近々関節痛を治すための手術を控えている医者に対して薬による別の治療法が1つだけあることを教えて、医者たちがどのような対応をするかを調べました。

するとメスを入れた場合の患者への負担などを考慮して47%の医師が手術を取りやめて薬の投与を試すという統計結果が出ました。(一度決定した事項に対して同じ立場をとろうとする一貫性の原理と呼ばれる習性が人間にはあるため、この反応はまずまずの数字だといえるでしょう。)

数か月後、今度は、同じような手術を控えている別の医者たちに対して薬による治療方法が2つあると教えて周りました。

すると今度は医師が薬を試す確率が27%にしかならなかったのです。

客観的に見た場合、手術をしないでよい選択肢が広がったのだからどう考えても薬による治療を選ぶ医師が増えるように思えます。しかしながら逆に選択肢が増えることによって医者たちは選択肢を変えることができなくなったのです。

このように選択肢が増えれば増えるほど人間は「意思決定の麻痺」が起こり合理的な判断が出せなくなってしまうものなのです。

可能性が増えれば増えるほど私たちの頭は混乱してしまうのです。

そして永遠に終わらないように思える作業に直面したときやる気がなくなってしまうものなのです。

諦めることも大事、諦めないことも大事

もしあなたが何にでも可能性を見出し「自己自身でありたいと思っている」状態で絶望を感じていたとしたら、ある程度選択肢を絞り込んでいくことが必要かもしれません。

何をするにしても足し算ばかりすればよいというものではないのです。引き算をすることで見えてくるものも世の中にはたくさんあることを認めなければいけません。

そもそも私たち人間は無限にも広がるこの世界の振動を“言葉”という規定に縛り付けることで理解できていることを忘れてはいけません。

問題が起こったとき数学の計算式を解くように適切な“X(エックス)”を代入し答えを導きだしてきたからこそ他の動物よりも様々な法則性を見出すことができたのです。

さらには、私たちの感覚器は無意識のうちに光や音などの莫大な情報を得ていることがわかっています。特に赤ちゃんの頃、私たちはそれらのほとんどの情報を傍受しているといわれています。しかしながら成長するにしたがってその中から必要な情報だけに知覚できる範囲を狭めていくのだそうです。モスキート音という高音は子供には聞こえますが大人になるにつれ聞こえなくなっていくのもこれと似た現象なのでしょう。

こうやって無限の情報を得られる能力を捨てることによって人間として生きていくための能力に突出することができるようになるのです。

もし何一つルールを絞り込まない状態で生きていたら、きっと人間の生活は今とはかけ離れたものになっているのでしょう。

私の好きな投資の格言に「バカバカしいくらいシンプルに保て」というものがあります。投資をするときにはいくつかのルールを決めて色々な計算をしてから勝負するのですが、そのときにルールが多すぎたり計算が複雑だったりすると逆に勝てなくなってしまうという格言です。当然のことながらミスも増えてしまいます。

“諦める”というと、一見悪いことのように感じますが、そうでないこともあるのです。

ただしここでもバランスが必要です。

諦めずに選択肢を吟味することも非常に重要な生きる力になるからです。

だからこそ『クラッター化現象(意思決定の麻痺)』を避けるための具体的な方法もここに示しておこうと思います。

例えば、上記で挙げた「買い物」「読書感想文」「関節痛の手術」の3つの場面については「買い物に出かけるときにリストを作る」、「読書感想文を書き終えるまでのプロセスを紙に書き出してみて、最初にするべきこと(去年直木賞を受賞した小説を買いに行くなど)に今すぐ取り掛かってみる」「、“患者にメスを入れるのは最終手段にする”など行動信条を考える時間を金曜日に確保する」といった方法が有効です。

なぜなら膨大な情報を今すぐ実行できそうなくらい具体的かつ小さく噛み砕くことによってクラッター化現象による反応を軽減することができるようになるからです。

絶望状態を克服するためには可能性を引き出しすぎてもいけませんし必然性を受け入れすぎてもいけません。

無理難題が目の前に立ちふさがった時、できることとできないことを細分化し小事から着手すること、そしてときには手を引くことを戦略として持っておくべきなのです。

思考の許容範囲を広げる
狭い環境とともに偏り凝り固まっていく思考

ここまでの文章では、自分の心の状態が今どの絶望状態に立たされているのかを考えてきました。

それから立ち位置が違えば戦略も変わってくるという話をさせてもらいました。

そしてここからは戦略を立てるためにはルールブックが必要だという話をさせていただきたいと思います。

どんなに素晴らしい戦略を思いついても間違ったルールをもとにしていたら間違った戦略にしかなりません。

例えば野球のルールブックにはストライクゾーンについて「バッターの肩の上部とユニフォームのズボンの上部との中間点に引いた水平のラインを上限とし、膝頭の下部のラインを下限とする本塁上の空間をいう。このストライクゾーンはバッターが打つための姿勢で決定されるべきである。」と定められています。(※私はこのルールを中学生の時野球部の監督から教わりました。ちなみに小学生の時はストライクゾーンを何となくしか認識していませんでした。)

投手が投げた球がこの空間を少しでも通過していればストライクになるのです。

しかしながら高校野球ではアマチュア野球特別規則により「ストライクゾーンの下限に関してだけ、ボール全部がひざ頭の下部のラインより上方を通過したものとする」というルールが付け加えられていたりします。

この規則を正しく認識していた高校球児は少なかったことでしょう。(※私自身現役時代知りませんでした。※ちなみにこのルールは2009年に廃止され現在は本来の野球規則に合わせるようになっています。)

おそらく多くの球児たちは、だいたいミゾオチあたりから膝下ボール一個分下までの高低でホームベース上をかすめていたらストライクゾーンだと認識していたと思います。

さて、投手と打者の駆け引きの間には低めのボールの方が遠くに飛ばされる確率が低くなるという鉄則のようなものがあります。ボール1個分低く投げられるだけでも投手はかなり有利に試合運びができるようになるのです。

当然、一般的なストライクゾーンのルールをもとに配球を考えるなら膝下のボールをたくさん投げたいと思うでしょう。

ただし高校野球のアマチュア特別規則に則ったストライクゾーンを採用している審判は、この低めのボールをストライクと判定してくれません。

すると投手は低めにコントロールされたナイスボールを投げるたびにカウントを悪くし自分で自分の首を絞めることになってしまうのです。

幸いなことに、野球なら試合中に審判のクセを見極めて戦略を修正することができます。しかしながら試合が終わった後“正しいルール”を自分が知っているのかどうかを疑う人は少ないことでしょう。―――間違ったルールを訂正しない限り彼は毎回試合の立ち上がりでつまづくことになってしまいます。

あなたはパラダイムという言葉をご存知でしょうか。

パラダイムとは、もともとはギリシャ語に由来した科学用語でしたが、最近では、モデル、理論、知覚、既成概念、仮定、あるいは一定した見地を指す言葉として広く使われるようになりました。

“一方に凝り固まった思考概念”といえばわかりやすいと思います。

頑固な老人が若い人のいうことを聞かなくなるのは、このパラダイムがしっかりと頭の中に出来上がっているからだといえるでしょう。

パラダイムは経験を基にして出来上がっていきます。

私たちは、ルールブックを読んだこともない球児たちがストライクゾーンをいつの間にか認識しているのと同じように物事を「こうだ・こうあるべきだ」と思い込んでいるものなのです。この間違った思い込みを基準に人生設計を考えてしまうと一見よさそうな戦略でもお門違いのものになってしまいます。

自殺願望のパラダイム

自殺を思い描く人のパラダイムはどのようにして形成されていくのでしょうか。

一つの例を考えてみたいと思います。

生活範囲が職場と家の往復だけ、さらに休日は一人で過ごすことがほとんどという私のような人が世の中にはたくさんいると思います。

そんなライフスタイルの中で、毎日上司や同僚から「お前なんかいらない」「死んだ方がいい」といわれ続けているとどんなにポジティブな人でも自殺願望が芽生えてしまうでしょう。

なぜなら、まるで洗脳を受けているかのように自分の存在意義や死ぬ理由ばかりに思考が偏ってしまうからです。

そうなると、最初は小さな不安かもしれませんが徐々に私たちの中に潜んでいた“弱さや強情”が絶望を大きくしていってしまいます。

「一生懸命やっても仕事でミスばかりしてしまうし、上司のいうように自分は死んだ方がいいのではないだろうか?」とか「何を言っているんだ!?あのどうしようもない状況下で上司なら俺より上手くやれたっていうのか!?」とかいった負の感情が私たちの思考を支配し始めるのです。するとこれらの負の感情が心に蓄積され膨張し自殺願望のパラダイムへと変化していくのです。

パラダイムは心理的なものです。

私たちは過去の経験により条件付けられた思考を通して物事を見るようになっていくと考えられています。

ずっと眼鏡をかけて過ごしていたら気づかないうちに透明なレンズにホコリや指紋が付着して濁っていくのと同じように、私たちの心のレンズにもいろいろなものが無意識のうちに付着していくのです。

それではどうすれば自殺願望のパラダイムを打ち消すことができるのでしょうか。

パラダイムシフトすることが大きなカギになる

まだ幼稚園に通っているくらいの幼い頃、私はある一つの衝撃的な体験をしました。

祖父と一緒に船に乗って旅行ツアーにいったときのことです。

船着場で祖父の知り合いのおばあさんが私にお小遣いを渡そうとしました。

そのとき私はとっさに、アニメや映画に登場するお金に目がくらんだ悪党の姿や人様から物を貰うとき丁重に断っていた母の姿を思い出したのでそのおばあさんの申し出を断ることにしました。

それでもおばあさんは「私の気持ちだから受け取って」と言って離れてくれません。

しばらくこの攻防は続きました。

それを見ていた祖父が「このおばちゃんはアッ君にお金を受け取って欲しいと思っているんだ。だから貰ってあげたほうが嬉しいんだよ。」と教えてくれました。(※アッ君というのは私の呼び名です。)

それまで所有欲の強かった私は人に物をあげる行為は苦しいものだとも思っていました。

しかしながら祖父の一言で物事には様々な見方があることがわかったのです。(※ちなみに聖書には「受けるよりは与える方が幸いである」という御言葉があります。)

このような心境の変化は、しばしばパラダイムシフトと呼ばれます。凝り固まった思考が別の発想へと移行(シフト)することがあるのです。

私の場合、人からお金をもらうことは悪いことだという偏った概念を持っていました。この狭い思考が、祖父の一言によってグワッと押し広げられたのです。(※パラダイムシフトと聞くと前の考え方を捨ててしまうように捉えるかもしれませんが、おそらくはより大きな次元で物事が捉えられるようになると考えていただいた方がよいと思います。)

これと同じようなことが私たちの脳内では度々繰り返されその度に私たちの人生は転換点を迎えることになります。

自殺願望のパラダイムシフト

自殺願望のパラダイムもきっとパラダイムシフトすることによって変化が可能だと私は思います。

先の自殺願望が芽生えたサラリーマンのパラダイムが変化する一例を考えてみましょう。

ある日、彼が立ち寄った定食屋で偶然にも学生時代仲の良かった友人に会うことになったとします。

お互い一人での食事だったので相席して互いの近況報告をすることになりました。

当然のように友人は仕事の話を聞きたがってきます。

仕事が上手くいかないことで頭がいっぱいな彼は職場環境について深く追及されるとポロッと悩みや愚痴を漏らしてしまうことでしょう。

すると友人は彼の仕事ぶりを見たこともないくせにアドバイスを始めます。

「オレも仕事は全然上手くいかずに怒られてばかりだけど、入社から数年経ってやっと芽が出た先輩もいるから頑張っていればきっとできるという希望を持っているんだ。それに張り合いのない仕事を毎日続けているよりもできないことが山積みの難しい仕事に向き合っている方がいいとも思っている。できないことが明らかになっているのならこれからどんどん成長できるってことだから。」とか「今の職場がそんなに嫌なら辞めればいい。そして自分の望む環境を手に入れるために行動を起こせばいい。人生の選択は自由なのだから今の職場にしがみつくこともないよ。」とかなんとか友人はこんな数百字の言葉で簡単に彼の問題を片付けようとするのです。

それを聞いた彼は、生活時間の大半をささげている今の仕事を真っ向から否定された気分になって「何も知らないくせにそんな簡単に言うなよ。それができたらこんなに悩んでなんかいないさ。」と心の中で腹が立ってきます。なぜなら人間の多くは悩みを打ち明けるときアドバイスよりも同調を期待しているからです。

そんなこんなでいろいろな話をした二人は食事を終え、店を出て別れました。

帰り道、彼はどうしても友人の仕事への助言が心に引っ掛かっていました。

その夜、静まり返った部屋のベッドの上で一人冷静になって考えたとき「今の仕事ができないからといって死ぬ必要は全くない」ということに彼も気づき始めす。

どんなに今の仕事ができなくても、ふと世間を見渡してみるとその仕事ができない人は周囲に五万といるのです。

そもそもはじめから仕事を完璧にこなせる人なんていませんし、向き不向きだってあるのです。

そうやって考えていくと、自殺は、目的ではなく手段であり、嫌な状況を打開するための一つの選択肢でしかないと解釈できるようになり、「自殺しなければいけない」「死ぬしかない」という一種のパラダイムが「生きていても良い」にシフトする瞬間が訪れるのです。

パラダイムシフトは、運が良ければ、新しい知識の応用によって一瞬にして引き起こされることもあります。

反対に、強情が邪魔をしてなかなか新しいパラダイムを受け入れられずパラダイムシフトをするまでに時間がかかることもあります。そんなときは「もしかすると私たちの心のバランスを保つためには自分のパラダイムがきちんとしたルールブックに沿っているかというところから見直す必要があるかもしれない」と知っているだけでも受け入れ方が変わってくるでしょう。

世界や国といった大きな社会規模で考えられているルールと比較したとき、家族や会社という小さな社会のなかで出来上がったルールは偏っていることがしばしばあるものです。あなたの思考パターンはバランスを保てているでしょうか?

あなたの“生活の中心”は何か?

きっとあなたも大きな社会に属していると同時に小さな社会に属しているはずです。

そして、SNSをはじめとするネットのなかにあるコミュニティや芸能人のファンクラブ、定期的に会う仲間たち、宗教的な集会、勤め先の会社、テレビ、映画、雑誌、学校、家族などそれぞれの社会から様々な影響を受けているはずです。

例えば恋愛ドラマや恋愛映画をよく見る人は、伴侶(夫・妻・彼氏・彼女など)にできる限りの愛を注ぐことが人生で最も大切なことだと考えているかもしれません。

両親の愛をいっぱいに浴びて育った人は、どんな状況であっても家族に恥じる行いは絶対にしてはいけないと感じているかもしれません。

誰かに騙されて人間不信に陥っている人は、自分以外信用できないと思い込んでいることでしょう。

ファン活動を続けている人、特に収集癖のある人にとって所有物(コレクション)を傷つけられたり盗まれたりすることは他のないよりも許せない行為になりえます。

これらの例を考えていると人それぞれ、伴侶・家族・自己・所有物など“生活の中心”に置いているものが違う(パラダイムが違う)ことに気づいてもらえると思います。

あなたの周りにも生活の中心が揺らぐたびに反応的になり心のバランスが取れなくなる人がいるのではないでしょうか。

偏った“生活の中心”を置いている限り心を安定させるのは難しいものなのです。

世界的なベストセラーになった「7つの習慣」という本には私たちの生活の中心は次の9つであることがほとんどだということが書かれています。

あなたやあなたの周りの人たちの生活の中心はどれだと思いますか。

  1. 伴侶
  2. 家族
  3. 自己
  4. 所有物
  5. お金
  6. 仕事
  7. 遊び
  8. 友達・敵
  9. 宗教組織

時間をかけてじっくり考えてみてください。

人それぞれ“生活の中心”が違うことを認識することができると広いパラダイムで物事を考えられるようになってきます。

生活の中心を違う視点から見られるようになると、新たな可能性が見えてくるからです。

他人の生活の中心を理解するように努めるだけで今まで解決できなかった人間関係の衝突を避けることも可能になります。

他の選択肢が必ずあることを忘れてはいけません。

自分の今の心境を理解し、別の選択肢を受け入れることで心のバランスを取ることもできるということを覚えておいてください。

3.自分のバランスを取ることで他人への効果性を築く

過去を書き換え、未来を変容させる

心理セラピーの一つとして『過去を書き換え、未来を変容させる』方法があります。専門的にはマトリックス・インプリンティングと呼ばれたりします。

これは、過去の記憶によって出来上がった思考パターンを変えることで今までとは違った道を選ぶことができるようになるという考え方です。

例えば「アルコール依存者の会」などと呼ばれる会合をご存じでしょうか。

この会合はアルコール依存に悩む人たちが週に二回ほど集まり、思い思いのことを打ち明けることで症状を克服していくためのものです。

聞き手になった人たちは無理にアドバイスをしなければいけないわけではありません。そうやって話をみんなに受け入れてもらうことで話し手は過去の自分自身を認め、許し、愛することができるようになっていくからです。

また、話し手になった人は自分の過去を話すことで客観的に過去の自分を見つめなおすことになります。

すると徐々に、これまでの生活パターンの問題点を自覚できるようになり未来を変えられるようになっていくのです。

この方法はギャンブルや薬物などの依存症患者、ガンなどを患って悩んでいる人、犯罪経歴を持っている人、さらには一部の投資家まで様々な人たちが活用しています。

過去の記憶を振り返ってみて嫌な記憶を別の視点からみることでこれからの人生に役立てていくことができるのです。

一人で過去を書き換えるためには

どうしても自分の過去を他人に話したくない人もいるでしょう。

現に、私もその一人です。

仕事でミスをしたりいじめられたり病気になったり株で大損したり失恋したりしたとき、悩みを周囲の人に打ち明けることができず一人で悩みを抱え込んでしまうことが私には多々あります。

そんなとき悩みとは全く関係のないことを考えて嫌な思い出は忘れてしまおうとすることがあります。

例えば部屋に閉じこもって友達と会わないようにしたり無理にでも買い物にでかけたりDVDを見たり本を読んだりして気を紛らわそうとするのです。

しかしながら忘れようとしているはずなのにそういった行動をすればするほど結局悩みは大きくなりどんどん自分に自信が持てなくなってしまいます。

いくら悩みとは別のことを考えて嫌な記憶を潜在意識の奥底に追いやっても “辛い思いをした自分”が、ひっそりとですがたしかに記憶の中に同居しているからです。

過去の自分が悩んでいるという事実を解消しない限り根本問題は解決できないのです。

そんなとき私は『過去を書き換え、未来を変容させる』方法を活用します。

まず過去を書き換えるためには“悩んでいる自分”から逃げるのではなく真剣に向き合い完全に受け入れることを意識します。

いじめられていたときの“彼”や病に侵されたときの“彼”、失恋したときの“彼”、失敗したときの“彼”、貧乏なときの“彼”はどんな体験をしてどんな感情を抱いていたのかを思い出します。まるでタイムトラベルをして過去の自分に会うようにイメージしていくのです。

“彼”はどんな悩みを抱えているのでしょうか?

私の場合、こうやって過去の自分と真剣に向き合っていると、恐怖や欲望という強い感情が出てくることが多いです。

  • ある友達に嫌われたことがきっかけで根も葉もない噂を流され一人寂しい日々を送ったときの自分
  •  野球において高校二年の秋の大事な時期に肘と腰を痛めて試合に出られなかったときの自分
  • 長文メールで好きな人に想いを告げ気持ち悪いと振られたときの自分
  • 独立起業して一切収入がなく毎月貯金を切り崩しながら必要最低限のものすらも買えなかったときの自分

どれも公言したくない記憶ばかりです―――あの瞬間において私は彼ら(自分)のことが大嫌いでした。

しかしながら何かが起こるたびに客観的に彼らを認識し、受け入れ、認め、許し、愛するように努めたところ恐怖や欲望という負の感情を抑えられるようになったのです。

彼らがいたからこそ現在の自分勝手な軽率な行動に歯止めが効くようになり相手の気持ち(特に痛み)を考えて行動できるようになりました。

これによりスポーツや仕事、恋愛でも数々の改善ができたのです。

“彼ら”の存在を認め自分に取り込むことが未来を変容させる第一歩になったのです。

未来を変容させるためには

ただし、これだけでは単に過去の記憶が整理されただけで不十分な場合があります。

なぜなら絶望の原因がわかっただけでは未来を変える具体的な方法に気づくことが難しいからです。自分の弱さや自分の強情を自覚している状態というのは上記でいう絶望状態となんら変わりありません。

そこで、さらに一歩足を踏み出すために、過去に上手くいったときのことを思い出し具体的にどうすれば上手くいくのかを考えるようにします。

具体的にこれからどうしたらよいのかを想像してみるのです。

もし過去の自分に成功体験がないのであればあなたと同じような境遇から奇跡的な大逆転を収めた人を探してみるのもよいでしょう。

  • 幼い頃いじめられていたけれど今では人気者になった芸能人
  • 難病が発覚し絶望の淵に立たされていたけれど最後まで精いっぱい生きた人物
  • 高校時代は全く芽が出なかったけれど大学で活躍しメジャーリーガーにまで上り詰めた野球選手
  • 外見に劣等感を感じて人と話すのも苦手だったけれど何かのきっかけで急にモテはじめた俳優
  • 奴隷のような生活から努力によって億万長者になった偉人

彼らは、どういう道のりを辿って逆境から順境に転じることができたのか、そしてまずどんな小さな一歩を踏み出したのかを調べてみるのです。

インターネットやテレビ、映画、本など幸いにも彼らを発見する方法はたくさんあります。

そうやって調べていくうちに、「悩んでいる自分には何が足りなかったのか」と「具体的にどうすれば突破口が開けるのか」という二つが見えるようになってくるのです。

警告!自分と向き合うのは時に相当な勇気がいる

ただし、“彼ら”と真っ向から向き合うということは痛みを伴うことにもなりかねません。

なぜならあなたが最も恐れているものに真っ向から対峙することになるからです。

ときに、新たな可能性を探りだし今日まで足を踏み入れてこなかったような道に挑戦しなければいけないこともあるでしょう。

また、自分は完全無欠ではないことを受け入れなければいけないこともあるでしょう。

さらには、弱さや強情に打ち負かされこれまで以上に強い絶望を意識させられるかもしれません。

もしくじけそうになったら一人で解決しようとするのを中止してください。

自分と向き合うことを止めるなり、『いのちの電話』や両親、友人に助けを求めるなりしてください。

一人で考えているとどうしても偏った思考に陥りがちになってしまいます。

「アルコール依存者の会」のように他人と会話をした方が過去の自分を見つめなおしやすいのも確かです。

過去の自分と向き合うということは胸にグサッとくる言霊に触れるということにもなりかねません。

“悩む”と“考える”の違い

もし自分と向き合っているときに胸を痛めたらどんな感情が自分を苦しめているのかを意識するとよいでしょう。

なぜなら行動に意味を持たせているのは感情だからです。

“悩む”と“考える”は違います。

悩んでいる状態というのは感情的なもので、解決策が見いだせず悶々とした状態といえます。

例えばクラッター化現象のように「こんな大量の情報を一変に処理するのは無理だ」という面倒くさいという気持ちが冷静な思考を妨げているときや打開策が見つからずに焦りを感じているときなどは悩んでいる状態といえるでしょう。

考えている状態というのはどうしたらいいのか具体的な方法論を単純に分析・判断している状態といえます。

例えばクラッター化現象の対処法としてお伝えしたように情報を一つ一つ噛み砕いて処理していくことだけを心掛けるというのは考えている状態といえるでしょう。

悩んでいてもなかなか問題は解決しません。

心理的感情的な要素がシンプルな課題を複雑にしているからです。

迷いを断ち切り、感情に主導権を握らせるのではなく迷いを断ち切り理性に従って物事をシンプルにして決断をくだすべきなのです。―――このように“考える”と多くの問題は解決策に辿り着けるものです。

感情に支配されて苦しんでいるのなら悩む時間を減らし考える時間に変えること、つまり感情を主体的に捉えるのではなく客観的に考慮するよう思考を切り替えることで活路を見いだせるようになるでしょう。

感情は、意外と簡単に変化させることができます。

身体を動かすと心に変化をもたらすことができるのと同じように、感情的なプロセスは後付させることもできるのです。

失敗は成功のもと?絶望を受け入れる発想

かの有名なトーマス・エジソンは電球を光らせるまでに1万回以上の失敗をしたといわれています。しかしその失敗の数々を彼は「失敗ではない。うまくいかない方法を1万通り発見しただけだ」と言ってのけたといわれています。

これは失敗があったからこそ成功に辿り着くことができた好例としてよく持ち出される実話です。

エジソンは失敗を受け入れることによって、失敗を拒絶した人にはできなかったことをやってのけたのです。

人生の壁にぶち当たった時、リスクを考え失敗を回避するか失敗を恐れず挑戦するかで得られる結果が大きく変わってきます。

失敗に対する考え方(パラダイム)が違うと行動する方針も変わってくるのです。

多くの人はミス(英語でいうmistake、つまり間違いを犯すこと)を失敗だと思っています。それに対して人生を充実させている人は、失敗とは目的の達成を断念してしまうことで、ミスとは違うことだと認識しているのです。

絶望に対する考え方もこれと似ています。

ある程度の絶望を受け入れることができるようになると生き方が変わってきます。

なぜなら失敗の例と同様に嫌なことを受け入れることによって絶望の処置の仕方も変わるからです。

例えばアウシュビッツ収容所で生き延びた人たちを研究した医療社会学者アーロン・アントノフスキーや苦しみから解放されるためにはどうすればよいのかを探求した仏教の開祖ブッダは、両者とも、困難や不満、絶望、不幸は、人生の一部だといっています。それを踏まえたうえで、充実した人生を送るためには日々の努力と奮闘が必要だといっています。

この世のものは刻一刻と状況や状態が変化するものです。そんな中、もしこの世から絶望がなくなるようなことがあったら人生はつまらないものになってしまうことでしょう。

食物連鎖の歯車がうまく噛み合わなくなると世界の均衡が崩れてしまうように、“完璧を追い求める”ことができなくなってしまうと“永遠のバランス”が崩れてしまうからです。

もしかするとあなたの心を苦しめているのはあなたのパラダイムかもしれません。

苦しみや絶望を拒絶するのではなく苦しみや絶望を人生に必要なスパイスの一つとして受け入れることによって心が楽になることもあるのです。

ただし、絶望を受け入れるという意味をはき違えてはいけません。

絶望は永遠に克服できないものだと思い込んでしまったらバランスを崩してしまいかねないからです。

大切なのは常に絶望を克服しようと挑み続けることです。

右にいきすぎてもいけません。左にいきすぎてもいけません。

再三言いますが、ヤジロベーを立たせるようにできるだけ真ん中にとどまり続けようとすることが重要なのです。人生はバランスです。

生き方を考える

徹底的に絶望して自殺を乗り越えた人たちの声

精神神経学者の大原健士郎氏の研究によると自殺未遂者の多くは「死なないでよかった」というそうです。

死んだつもりになって、ある意味生まれ変わったおかげで人生が変わるという話も少なくありません。

もがき苦しんで絶望の壁を乗り越えたとき「どうしてこんなことに気がつかなかったのだろう?」と思えるほどに世界が変わるというのです。

一度死を克服した人が何か得体のしれない大きな力によって突き動かされていると感じ、その後の人生を変えていく話をときどき映画やドラマの世界でも見かけますが、これは絶望論を展開したキェルケゴールが絶望の反対は信仰だといったことにもつながります。

もし死んで人生をリセットさせたいと考えている人がいたら生きて人生を変えることも可能だと信じてみてください。

何か嫌なことがあったとき外の世界と自分を遮断して全て一人で考えようとする人は、思い切って誰かに相談してみるのもいいでしょう。(セラピストや心理療法士はそのために存在するのです。)

人間関係に疲れて憤りを感じている人は、海外に移住して新天地で新しい人生をスタートさせてみるのもいいでしょう。

法律など人様に迷惑をかけない最低限の規律は必要ですが、あなたは自由だということを忘れてはいけません。

死んでしまうと自由意思がどうなるかわかりませんし、肉体は滅びるのですから肉体を使って何か行動を起こそうと思っても取り返しがつかないことになってしまいます。

ほんの少しの勇気をみせることで頭が整理されて意外と簡単に問題が解決できるようになることでしょう。

(神様ですら自殺することは不可能だといわれていますが、それを選択できるほどあなたは自由なのですから、生きてやろうと思えば何だってできるはずです。)

人間の生きる意味・生きる価値・生きる目的

「なぜ私たちは生きているのか?」「生きる意味、人生の目的とはなにか?」「私は生きる価値がある人間なのだろうか?」

愛する人との死別や仕事でのミス、借金問題、いじめ、失恋、重病など思わぬ出来事や災害に遭遇したとき大きなショックを受けると私たち人間は一歩身を引いて自分の人生を見つめなおし、ふとこのような質問を自分に投げかけることがあります。

その答えが見つからないまま、ただただ時間が過ぎていくのを感じ絶望を大きくしてしまう人もたくさんいらっしゃることでしょう。

たしかに「なんのために生きているのか」という問いに対する答えは過去の歴史を振り返って考えてみても永遠に謎に包まれているようにも思えます。

しかしながら私は信じています!私たち人間の生きる最高目的は天命を自覚し生を全うすることだと!

なぜならこの世には真・善・美・聖・健・富という6つの価値があるからです。そして、この6つの価値を追求することで人間は外在的な森羅万象に影響を与えながら内在的にも独特の世界を実現することができるからです。

例えば“人間”を“言葉”に例えて考えてみてください。

“言葉”には一つ一つに存在する意味・目的があります。

その証拠に、辞書を引いたときわからない語句を説明するために他の語句が使われているのがわかると思います。主要な言葉が一つでも無くなると他の言葉のすべての関係性が連鎖的に絶たれていき存在する意味・目的が薄れていってしまうのです。おそらく私たちは成長の過程で言葉の関係性を感じ取ることができなければ言語を話せるようにはなりません。

だから“言葉”は、人間にとってコミュニケーションをとるため、そして他の“言葉”を補完するために存在する価値があるのです。この二つの存在意義はとても重要なことです。

お金としての価値に換算することは難しいですが、他国の言語を習得するために膨大なお金をかける人がいることからも人間がいる限り“言葉”には物凄い存在価値があることを理解していただけると思います。

この“言葉”の例と同じように、人間一人ひとりもたくさんの人や物事と関係性を持っていることがわかっていただけると思います。(“言葉”との関係性でいえば、人間は言葉の存在価値を失わせないためにも生きていると考えることができます。)

現に人間は食物連鎖や因果応報の素晴らしさを知っています。例えば、ミツバチが絶滅すると私たち人間は生きてはいけません。中国でチョウチョが羽根をパタパタするとアメリカでハリケーンが発生することもわかっています。それほど強い関係性を私たちも持っているのです。

だからまずあなたも多くの人や事象を補完するために生きていることを理解していただきたいと思います。

どんなにあなたが孤独を感じていようともあなたがいなくなると生きる意味の一部を失い悲しむ人たちが必ずいるのです。

これが人間に存在意義があるといった一つ目の理由、外在的な存在価値です。(富)あなたは誰かの(何かの)富であり未だ人間には計り知れない影響力を宇宙に放っているのです。

次に内在的な存在価値を知ってほしいと思います。これは「すべきことのために存在している」という見方になります。

もう一度“言葉”の存在意義について考えてください。

他の言葉との関係性のほかにも、言葉は人間のコミュニケーションの手段として存在意義があると上述しました。

それがあるのは言葉を使用する人間の願望が音(声)や光(文字)に意味を持たせたからです。

音や光というものは厳密にいえば振動でしかありません。

そうやって考えたとき、私たちの肉体も量子力学的にただの振動でしかないことがわかってきます。

人間を構成しているのは精神と肉体です。

つまり願望が言葉に意味を持たせたのと同様に肉体という素粒子とその振動の集合体にも自らの意思で価値を付加することができるのです。(他人から価値を付加してもらうこともできますが、それを選ぶかどうかもあなた次第です。)

難しい表現だと感じる人もいるかもしれないので追って例を挙げておきます。

例えば、日本を代表する戦国武将の一人、織田信長は天下不武を掲げ乱世を終わらせるべく日本を統一しようと邁進した人物として広く伝えられています。

今となっては豊臣秀吉の日本統一の足掛かりとして織田信長には多大な存在価値があったと多くの人たちが認めていることでしょう。

織田信長が自らの人生目的を自分で決めたからこそこの歴史的事実は生まれたのです。彼は外的な存在価値を自ら創り出したのです。

そう考えてみるとあなたの周りにも「私は○○のために生まれてきた」と公言する人がいるのではないでしょうか。

例えあなたの遺伝子を抽出して全く同じ細胞を持つクローンを創り出したとしてもあなたと同じ存在意義を持った人間を創り出すことは不可能です。

あなたのなかには誠実、高潔、喜び、勇気、信念、自信、鼓舞、好意など人格的な要素が脈々と形成されているからです。

二度と同じ時を生きている人はいません。一卵性双生児が両親から同じように育てられても全く違った存在になるように、一瞬一瞬の経験が違うだけで人間は同じ人にはならないのです。

織田信長のように自らの道を自ら定め、自ら精神を磨くことで肉塊の存在域を超えて存在価値を高めることができるのです。

これが私の言う内在的な存在価値です。

もし自分の存在意義に疑問を持ったのなら、自分自身に生きる意味を付加すればよいのです。―――そうすることであなたはそのような人になることができるのです。

人間の心は知・情・意の3つにわけることができるという話を上述させていただきました。

この知・意・情という精神活動は広い意味での学問・芸術・道徳という肉体活動と相互に高まっていきます。これが真・美・善という価値です。(※広い意味での学問というのは、単に机の上の勉強だけでなく様々な体験を通して得られるものを指します。)

これらを追求していくことで自ら天命を自覚するようになる人が多いのも事実です。

例えば運動選手や芸術家、数学者、哲学者などその道を極めた偉人たちがやたらと神を語るようになるのを聞いたことがないでしょうか?

ある有名なギタリストは「スポットライトを浴びると自分に神が舞い降りてくる」と語ります。

ある有名な野球漫画には「(自分には)あんな球…二度と投げられねえよ。」「投げさせられたんだよ。だれかに…な。」と言うシーンがあります。

ある有名な格闘家は、その強さゆえに自らを「神の子」と呼びました。

一つの道を追求することで神を感じるに至ったという偉人はこの他にもたくさんいます。これが聖という価値です。

先の絶望論を展開した「死に至る病」の著者キェルケゴールも絶望の反対は信仰であるといっています。(おそらくここでいう信仰とは、キリスト教やイスラム教、仏教といった一つの宗教にこだわったものではなく、帰一された神を信じること、つまり希望を持つということだと思います。)

これらのことから、よく「未来や運命は自分で作り上げていくものだ」といわれるように、天命はまず自分で選ばなくてはいけないものだと感じていただけないでしょうか。知・情・意を追求する精神活動こそが天命を自覚する足掛かりになります。

また、知・情・意の精神活動を学問と道徳と芸術という形で具現化するためには肉体が必要になります。

肉体が無ければどんなに精神という名の電気信号が輝きを放ってもこの世に価値を付与することはできません。

そのためにあなたの肉体は必要不可欠であり、可能な限り生き続けなければならないのです。そしてどんな状況であってもパフォーマンスを向上させるために少しでも健やかな身体を築く努力をする必要があるのです。これが健という価値です。

肉体には、精神活動の効果を外部に波及させるため、そして精神活動を高めるためという内外相互に必要とされる価値があるのです。

だから私たちは“生きている”のです。

だからこそこの項の冒頭で述べた、天命を自分で選び、そのことを強く自覚し、表現するために生きることこそ私たち人間の生きる目的なのだと言ったのです。

現代実業界の祖、渋沢栄一は名著「論語と算盤」のなかで「人間が世の中に生き働いているのは天命である。草木には草木の天命あり、鳥獣には鳥獣の天命がある。この天命がすなわち天の配剤となって顕われ、同じ人問のうちには、酒を売る者があったり、餅を売ったりする者があったりするのである。天命にはいかなる聖人賢者とても、必ず服従を余儀なくせられるもので、堯といえども吾が子の丹朱をして帝位を継がしむること能わず、舜といえどもまた太子の商均をして位に即かしむるわけには行かなかったのである。これ皆、天命のしからしむるところで、人力のいかんともすべからざるところである。草木はどうしても草木で終らねばならぬもので、鳥獣になろうとしてなり得られるものではない。鳥獣とてもまたいかになろうとしたからとても、草木にはなり得られぬものである。畢竟(ひっきょう)みな天命である。これによって稽(かんが)えてみても、人間は天命に従って行動せねばならぬものであることがすこぶる明かになる。」といっています。

アウシュビッツ収容で生き延びた人たちを研究したビクター・フランクル博士は「すべての人は、人生のおける独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。その点において、だれもその人の代わりになることはできない。そして自分の人生を繰り返すこともできない。したがって、すべての人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである」「終局において、人は人生の意味はなんであるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである。一言でいえば、すべての人は人生に問われているのだ。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いに答えることはできない」と言っています。

長尾剛氏が宮本武蔵の五輪の書を基に著した「宮本武蔵が語る『五輪書』」には「武士は『出家のため』に戦うのである。『我が家名を上げるため』に戦うのである。で、この場合の『家』とは、何か。『家』とは、生命あるものにとって最も大切な『血のつながり』である。人どうしが支えあって生きるための『基本的なグループ』である。愛するものどうしの絆である。戦いによってそれを守り、育む存在。それが武士というわけだ。」という一文があります。日本の武士たちは生まれてからずっと天命を意識しながら育ったのです。

“全人教育”を打ち出した小原邦芳先生は著書「教育の根本問題としての宗教」のなかで「人生の目的は真の自己本性の発展、真我の発揮、第一義の生活であると、私はここに断定する」といっています。

文豪ゲーテは「人間は修行するために存在する―――彼が達成できるもののためではなく、彼の中に達成されるもののために存在する」と言いました。

「人生の最高目的は天国に入り神の世界に永久の幸福を受くることである」といったコメニウスの言葉からも同様の本質が見てとることができるでしょう。

そして、キリスト教を重んじた西洋では古来より、人それぞれに神から与えられた“天職”があると信じられてきました。

地球上に存在する私が読んだことのあるほんの一握りの“本”の中の私の記憶に留まっている文献だけでもこれだけの引用を引っ張り出してくることができます。

これらの言葉から私はこれまでの考えを、自信をもって発表することができるようになりました。

自殺者の中には終局的に、『私は何のために生きているのだろうか』と自問自答し自分の存在価値を見いだせなくなって自殺という選択肢を選んでいる人がいるように思えます。

『どうせ人間、いつかは死ぬのだから。こんなに苦しい思いを続けるくらいなら自殺した方がマシだ』などという思考パターンに陥ってしまっているのです。

たしかに人は死ぬために生まれてきたと考えてしまうのも無理はありません。私たち人間は「おぎゃー」と産まれたその日から死に向かって歩き出していることは紛れもない事実です。

このため、死ぬために生まれてきたようにも一見思えてしまいます。

しかしながらこれは「何のために生まれてきたのか」という問いの答えにはなりえません。

なぜなら生と死は、ただの言葉で、一対の関係性を表したものだからです。

例えばプラスチックのおもちゃの立場になって考えてみてください。

おもちゃだっていずれは捨てられチリと化すときがくるでしょう。精神が宿っているかどうかは定かではないので死ぬという表現が適切かどうかはわかりませんが、おもちゃが焼却炉で焼かれるのは人間が埋葬される末路に似ています。

しかしながらおもちゃだって捨てられるために作られたわけではないことがわかるはずです。

人間を喜ばせるために作られたはずです。少なくとも人間は人間を喜ばせるためにおもちゃを作っているはずです。

たしかに捨てられたりリサイクルされたりすることは一つの運命かもしれませんが、捨てられることは存在意義にはならないでしょう。

もしここまでの説明でわからないことがあるとしたら、なぜ多くの人たちが映画「トイストーリー3」に心打たれるのか考えてみてください。

それはおもちゃたちが必死にアンディ(持ち主)のために価値を見出そうとし、自分たちの居場所を取り戻すために奮闘するからです。

ウッディもバズも、例え飽きられたとしても捨てられたとしても自殺なんて選択肢は選ばないからです。そこに価値があるからです。

この映画のおもちゃたちは人間と同じように自由な“心”を宿しています。

人間は自由だからこそ神様にもできない自殺という選択肢も選ぶことができます。しかしながら逆に言えば自由だからこそ生きて自らに価値を付与することもできるのです。

少々わかりにくい表現が続いたのでここに言いたいことをまとめさせていただきます。

私たちはすべきことのために存在しています。

あなたはそれを理解するためにこのサイトに来たのです。

まず使命を理解するために生き、自覚した後、天命を存分に発揮するために生きることを知る必要があったのです。

使命を見つける旅は終わりません(知)。

あらゆるもの(THE ONE=救世主、イエス、神、仏、仏性)に興味を示し(情)、一度決めた道を心の底から信じるべきです(意)。

そして使命を達成するために身体を強くし(健)、使命を達成するために富を築くのです(富)。

そうすれば仏・神があなたを認め、あなた自身も仏・神を認めることができるでしょう(聖)。

そのとき「生きていてよかった」ときっと思えるはずです。

たとえ今健康状態が悪くても富を持っていなくても、あなたはあなたの使命を探し出すことができます。そうすることで真の健康、真の富が巡ってくることでしょう。

まず自分を顧み、知識を求め、使命を探り当てましょう。

目標をもつことが自殺を克服させる

目標を探してください!

なぜならそれが内在的な価値になり絶望すらも克服する術になるからです。

例えば目標を打ち出すと、願望を達成するための学習意欲が沸き起こってくるはずです。(知)

澄み切った向上心ある状態を作り出すことができるようになるはずです。(情)

理想的な自分の姿を想像することができるようになるはずです。(意)

これらはまさしく真・善・美そのものであり世の中に必要とされる価値になります。

目標を打ち出すことによって心の動きを活発にし、自分の価値を高めることができるのです。

これさえあればもう「なんのために生きるのか」なんてことも聞かなくてよくなるはずです。胸を張って「私はこの目標を達成するために生きているのだ!」と言い切ってください。

こうやって定期的に目標を設定したり見直したりすることにより絶望を克服することも可能になります。

なぜなら“永遠のバランス”を整えることができるからです。

一見矛盾を感じるかもしれませんが、目標は、永遠を感じさせる一方で永遠を感じさせないものです。

実際に今手が届いていない頂を下から見上げている段階では目標は永遠を感じさせてくれます。それにもかかわらず目標を定めるということはある種の限界を設定していることにもなるのです。

きっと「自己が絶望していることに気がついていない」状態の人は、今の自分に足りないことを受け入れ目標を決めることによって希望を見出せるようになるでしょう。

「自己が絶望していると知っていて自己自身でいるのが嫌になっている」状態の人は、新たな目標に出会うことで自分を取り戻すことができるでしょう。

「自己が絶望していると知っていて自己自身でありたいと思っている」状態の人は、目標に向かう選択肢を考え直し新たな可能性を受け入れることができるでしょう。

心の焦点が定まっていない状態では情熱や意志、知識といったものが宙ぶらりんになってしまいます。

「何をどうしたらこの悩みを解消できるのだろう」と漠然と考えるよりも「こういうふうになりたい!」と考えた方が、方向性が定まるので小さな一歩を踏み出しやすいものです。

「今の自分はどんな状態で何が足りないのか?」と考えながら行動できるようになるはずです。

この世は点の集まりです。今いるところは一つの点にすぎません。目標を定めもう一点と結ぶから道が見えてくるのです。

夢を想像し目標を定める!これが大切なことなのです。

もしかすると夢が儚く散ってしまい虚無感を抱いている人にとって「目標を持て」というのは酷な話だと感じる人がいるかもしれません。

たしかに「頑張れ」という声掛けはNGワードになりえます。

しかしながらそれは過去の経験が作り上げた間違ったパラダイムにすぎないということが理解できれば、エジソンのように失敗や挫折を受け入れ想像の翼を自由にはためかせることができ、きっと立ち直ることができるはずです。

自殺未遂経験者のようにどん底を味わった方ですら、それを克服した後に天命を自覚することによって新しい快活な生活を手に入れることができているのですから。

是非とも目標をもっていただきたいと思います。

【警告】ただし、うつ病の方をはじめ本当に「頑張れ」という言葉が重荷になってしまう人もいると思います。焦って目標を定めろとはいいませんので、上述してきた内容とともに自他の状況を認識し適切な対応を心掛けてください。

治療と予防の両方が必要

多くの人は、頭で理解していても「バーニング・プラットフォーム(燃える足場=お尻に火がついた状態)」に直面するまで行動を改めることができません。

これは日常生活の多くのことに当てはまることだと思います。きっと自殺をするほど悩んでしまう人も自殺させるほど追い込んでしまう人もその途中で自分を改めることができなかった人でしょう。

だからこそ心理セラピストや心の電話相談、精神科医などはとてもとても大切な役割を担っています。

これらの活動は、窮地に立たされた人を救うことができるからです。

しかしながら自殺を無くすことを考えたときそれだけで根本的な解決を目指すのは難しいように思えます。

病気や事故と同じように精神的な問題にも、治療だけでなく予防が必要だからです。

例えば手術を施し患者さんの命を救うお医者さんは確かに偉大です。その中にはきっと何百人もの人の寿命を延ばしてきた有名なお医者様もいらっしゃることでしょう。本当に素晴らしいことです!

しかしながら私たちは、できることなら手術で助かるよりももともとずっと健康でいられる方が良いと思っているはずです。そして予防に取り組めば大きな病気になる確率をグンと下げることができることも知っています。

あなたは次のような社会現象をご存知でしょうか?

1965年、アメリカ全土を揺るがすある衝撃的な転機がおとずれました。

それを起こすきっかけはたった一人の男性弁護士、ラルフ・ネイダー氏が出版した一冊の本でした。

この本の題名は「どんなスピードでも自動車は危険―アメリカの自動車に仕組まれた危険」というものです。

彼は、この本で自動車の危険性をあらわにし、大手自動車会社に対してシートベルトをはじめとする安全装備にかける費用を惜しまず使うべきだと告訴まで行いました。

この社会運動を受けアメリカ政府は世界で初めてシートベルトの着用を義務付けるよう法案を取り決めました。

ラルフ・ネイダー氏の活動意志はその後多方面の社会運動家たちに刺激を与え、環境問題や福祉問題、政治腐敗など脈々と受け継がれることになりました。

おそらくは彼こそが史上最も多くの人の命を救った人物ですが、シートベルトのおかげで事故から助かった人であっても彼に感謝する人はあまりいません。

さらに付け加えるならば、この法案を可決する際には多くの国民からの反発もあったといわれています。そして現在でもシートベルトを着用するのを煙たがる人もいます。

多くの人たちは、自分が被害にあうまでシートベルトの素晴らしさに気がつかないものなのです。

それでも客観的にみて、事故後手術をするよりもシートベルトをして軽傷で済ませた方がよいということはあなたにも理解できるはずです。

自殺問題も似ていると思います。

自殺の芽が潜んでいても多くの人は自他ともに気がつきません。気づいても知らぬ顔をする人すらいるほどです。声をかけられるのを嫌う人もたくさんいます。

時間をとってこの重要な問題について冷静に考えてください。

株式会社インテグレート代表の藤田康人氏が虫歯予防のためのキシリトールを日本に普及させるために、一見商売敵にも思える歯医者さんと協力し虫歯予防を呼びかけ国民全体の習慣にしてしまったように、自殺予防も当たり前にまかり通る世の中がつくれるはずです―――自殺予防というよりも愛に満ち溢れた世界を作れるはずです。

自殺の問題も治療と予防の相互からアプローチをかけ一人ひとりの意識を変えるべきだと思います。

今あなたに自殺願望が全く無かったとしても、この文章への反論でも何でも良いので自殺という社会問題についてあなたの意見をもってほしいと私は切望します。

まず、あなた一人が考えるだけでも世界に大きな変化を起こすことができます。

想像してみてください―――そうやって自分のことや周囲の人のことを考えられる人が増え、自殺という悲しい思いをする人のない社会ができたらどんなに素晴らしいことでしょうか―――というよりも幸せな思いをする人が増える社会ができたらどんなに素晴らしいことでしょう。

トリムタブの法則

長くなりましたが、最後に自殺を根絶するための提案があります。

トリムタブの法則を活用しましょう!

なぜならトリムタブの法則には過去にも様々な社会現象を好転させた実績があるからです。

トリムタブの法則を活用した例としては、ニューヨークの犯罪を激減させた政策が非常に有名です。

1993年ごろ、ニューヨークは殺人や強盗をはじめとする凶悪犯罪が多発する治安の悪い都市として有名でした。

これほどの凶悪犯罪の数々を取り締まるのはもはや不可能だと誰もが考えていました。

しかし市長に就任したルドルフ・ジュリアーニ氏は、どうにかして街を住み良いものに変えたいと願い、その願いを諦めませんでした。

そこで市長は“地域の落書きを消す”などちょっと頑張れば改善できそうな小さな犯罪をなくすことに専念することにしました。地下鉄車両や構内、街ビルの壁を綺麗にするシステムを確立させていったのです。

すると驚いたことに、街が綺麗になっただけでなく街の犯罪件数が75%も減少したのです!

これこそがトリムタブの法則です。

ニューヨークを良い街にしたいという市長の強い思いが“ほんの小さな取り組み”になり、それを感じ取った周囲の人たちがその思いに応えていき、街全体を変えたのです。

さて、説明が遅れましたがトリムタブとは何なのかを述べておくべきでしょう。

トリムタブとは、船の方向転換に使う大きな舵を動かすために取り付けられている小さな舵のことをいいます。

大きな船が方向転換をする場合いきなり大きな舵を切ろうとしても水圧が一気にかかってしまい操縦できません。

そこで水の抵抗を受けにくいトリムタブと呼ばれる小さな舵を大きな舵の先端に用いるのです。

このトリムタブを動かすと小さいながらまわりに別の水流を生じさせることができます。こうして最初に小さな水圧を起こすことで徐々に大きな水圧が生まれ大きな舵が動くようになり最終的に船という巨大な物体を方向転換することができるようになるのです。

想像しにくいという人は、お風呂の中でオボンと手を仰ぐのを想像してみてください。手は小さな力で水をかき分けることができますがオボンで水をかき混ぜるには大きな力が必要です。しかし手よりもオボンでかき混ぜた方が大きな力を生み出すことも可能です。そこで手でお風呂の水を円形にかき混ぜ水流を作ってからオボンを使うとより大きな水流を創り出すことができます。トリムタブは、この手の役割をしているのです。

このトリムタブを動かして巻き起こる効果性と似たような現象が私たちの心身にも起こるのでトリムタブの法則と呼ばれるのです。

ニューヨークの落書き消しの話と同様に、自殺の問題にもトリムタブの法則が利用できるはずです。

例えば今大きな悩みを抱えている人たちは、大きな悩みに押しつぶされて思考が麻痺し小さな一歩を踏み出すことができなくなっていることが多いというお話を上記クラッター化現象の項で述べさせていただきました。

私たちの脳は分析が大好きなので行動を起こすよりも先に展望を覗きすぎてしまうのです。

悪いところを治そうと考えた場合悪いことばかりを考えてしまいます。これでは改善ははかどりません。

そんなとき意識的にトリムタブの法則を利用しようとすることでどうすればよいかを具体的に考え出すことができるようになるのです。

例えば本屋さんに行って今まで関心のなかった本のコーナーに足を運んでみるのがオススメです。

何を目標にしてよいのかわからないならまず知識を習得することが常套手段だからです。

本には先人たちの知恵が書き記されています。

長年考えてやっとたどり着いた私なりの答えもすでに様々な本に記されていることがほとんどです。

だからこそ確信して言い切ることができます。

もしあなたが、今、誰にも頼ることができないで、生きることに悩んでいるのなら本に頼ってみるのべきしょう。(あなたがすることは、靴を履いて近所の本屋さんに行くだけでまずはいいのです。)

もし活字を読むのに抵抗を感じるのなら近所のレンタルDVD店に行き今の自分の心境に似た主人公がどうやって苦難を乗り越えたのかが描かれた物語の映画を探して借りて観るのもオススメです。

この他にも、悩みを整理するために相談窓口に電話をかけてみる、着替えて部屋から出てランニングしてみるなど今自分にできることを考えて実行してみるのも良いでしょう。

すると、ほんの小さな変化が巡り巡って大きな成果を引き起こしてくれるはずなのです。

また、トリムタブの法則は、自殺に悩む人だけでなく自殺を根絶したいと考えている人にも有効な手段になるはずです。

ニューヨークの市長がやったように、直接問題に対処しようとしなくても小さな行動を起こすべきなのです。

例えば、すれ違う人に挨拶をするだけでもよいですし、あなた自身の目標を探し始めるだけでもよいのです。友達を誘って食事に出かけるだけでもよいですし、SNSでこの記事をシェアするだけでもよいでしょう。

何を成し遂げるにしても大事なのは最初の一歩を踏み出すことです。

フルマラソンの走者の視界には最初から42.195キロ先が見えているわけではありません。

彼らは42.195キロ走ることを前提としているものの実際に走っているときには、最初の電柱まで、そこまでたどり着いたら次の電柱まで、そしてまた次の電柱まで…と少しずつ確実に進んでいくよう意識しているものです。

その証拠に一流のランナーたちですらも、あらかじめルートを覚えておき途中のポイントごとに自分のペースを計っているではありませんか。

これも小さな行動の選択の積み重ねで人生は大きく変わる好例といえるでしょう。

平和で愛にあふれた世界をあなたと一緒に、今この瞬間から少しずつ創造していきたい…

目標設定について

感謝の文

読んでくださってありがとうございました。

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