目標と目的の違いをどうやって区別するか
目標とは(目標と目的と手段の違い?)
目標とはなにかを考えてみよう
目標という言葉について考えていこうと思います。
なぜなら私の発する「目標」という言葉の関係性や意味を理解してもらえていなければこれから文章を通じて色々お伝えしていく内容があべこべになってしまうからです。
目標という言葉にはたくさんの意味が隠されているので皆解釈が違います。
三省堂をはじめ福音館、旺文社、岩波など辞書を引けば引くほど目標という言葉にはたくさんの意味が含まれていることがわかります。
例えば目標という言葉を別の言葉で表現すると次のような意味になります。
- 目印のこと
- そこまで行こう、成し遂げようとして設けた目当て
- 射撃・視線・行動などの対象となる、めあて
- まと
- 狙い
- ノルマ
- 夢
- 期限の定められた夢
- 見てすぐわかるようにつけた印
- 目標となる物
- 江戸時代、商標をいった語
- そこに行き着くように、またそこから外れないように目印となるもの
- 射撃・攻撃などの対象
- 行動を進めるにあたって実現・達成を目指す水準
- 目当て
- まと
- 理想
- ねらい
- 目指すべき方向や状態
- ターゲット…
- それからはずれまい、そこまで届こう(かせよう)とねらうもの。
- [ねらい]を決める
- 人生の[=目当て]
おそらくこの他にもいろいろな表現の仕方があるでしょう。
一口に「目標」と言われてもそこには微妙に違うたくさんのニュアンスが含まれていることがわかっていただけると思います。
だからこそ「目標」といわれても人それぞれ捉え方が変わると思うのです。
「目標を設定してください」と言ったら特に二つの視点を持つ人が出てくる
そんななか私たちは主に二つの視点から目標という言葉を捉えていると思います。
一つは「なる(become・be)」という視点、そしてもう一つは「持つ(have・get)」という視点です。
子供に夢や目標を聞くテレビ番組を思い描いてみてください。
「大きくなったら何になりたい?」と質問するのは「なる」という視点です。
対して「今一番欲しいものは?」と質問するのは「持つ」という視点といえます。
ちなみに「何かを実現する」という目標も「~を実現できる人になる」と言い換えて考えてみてください。
目標と目的の違い?
「目標」という言葉を考えたとき「目的」という言葉と比較している人がいます。
例えば『Yahoo!知恵袋』をはじめとするネット上にある疑問を投げかける掲示板サイトには「目標と目的の違いは何か?」という質問が多々あります。
また、「目標 目的 違い」というキーワードはグーグルの検索エンジンだけで月間1万4000回も検索されています。
この疑問に対する答えとして、多くの人が目標と目的を混同してはいけないとアドバイスをし、この二つを明確に分けようとしているサイトをよく見かけます。
特に「目標は目的のためにあるものだ」という意見が多いようです。
たしかに目標という語を調べているとき「究極目的に対して、そこにいたるための中間的なものをいうことが多い」と明記してある辞書もあったのでそういった意見にも賛同できるところがあります。
しかしながら様々な辞書を調べてみると、ほとんどの辞書には「目的」の項に“目標”と明記されているので私は目的と目標を別のものだといいきることができません。
ちなみに目的には次のような意味があります。
- 行動する目標として考えられた、そうしたい何事か
- 実現または到達しようと目指す物事
- めあて(ちなみに上記の「目標」の意味を調べたときにも「めあて」という語をよく目にしました。)
- 目標(まさに目的イコール目標ということが辞書にも書かれているのです!)
- 行為に先立って意志がその実現を予定するもの
- 得ようとしてねらう対象
- 到達したい状態として意図し、行動を方向付けるもの
このように目標と目的とは必ずしも別の意味とはいいきれないのです。
(そこで、私は金田一先生のような日本語の専門家ではないので正しいことはわかりませんが、当サイトでは目標という言葉と目的という言葉の明確な違いは定義できないのでこの先も目標と目的をはっきり区別して文章を書き進めていませんのでご了承ください。)
手段と目的を混同してはいけない
ただし、『手段と目的を混同してしまうとやっかいなことになる』ということだけはいいきることができます。
なぜならときどき手段と目的を混同している人がいて、彼らの行動が方向性を見失っているからです。
「究極目的に対して、そこにいたるための中間的なものをいうことが多い」と考えると目標と手段は似通った意味を持っていることがわかると思います。しかしながら目標は、上記にも記したように「目指すべき方向」という意味も含んでいます。そんななか手段に注力していると“目指すべき方向=目標”から逸れてしまうことがあるのです。
例えば「あなたの目標は何ですか?」と質問したときになんとなく「お金持ちになりたい」という人がいます。
お金持ちになるというのは「なる」といっているので「なる(become)」の視点のようにも一見聞こえます。
また、お金は数えられるので「持つ(have・get)」の視点も含んでいるようにも思えます。
しかしながらお金持ちになるという目標は手段であってほとんどの場合目的ではありません。(この場合[目的≧目標←手段』という位置関係になるのかもしれません。)
お金持ちになってお金のプールで泳ぎたいとか優越感を味わいたいとかいう、お金持ちになること自体に美を見出しているのなら話は別ですが、そうでないのならお金は“何か”を買うための手段でしかないからです。
この他にも、目標を聞いたとき「起業して会社を上場させたい」という人がいます。
上場することによってしか見えない真理を追究したいとか上場して見栄を張ることに美意識を感じているのならそれは目的になるかもしれませんが、本来上場することの意義は投資家からお金を集めて“何か”をするための手段でしかありません。
つまり「何か」の部分が理解できていなければその行為は目標と呼べないのです。―――目的を見失っている状態は“目指すべき方向や状態”ではないでしょう。
どちらかというと「なる」という視点を大切にしてほしい
そこで再び「なる(become)」と「持つ(have・get)」の二つの視点について考えてみたいと思います。
この二つの視点をもとに目標を考えたとき、私はどちらかというと「なる(become)」視点を大切にしてほしいと思います。
なぜなら「持つ(have・get)」の視点は100%物質的なものであり、手段に替わることが多いからです。
短期的に考えたとき「持つ(have・get)」の視点は非常に魅力的に見えますが大人になるにつれて「持つ」という視点は薄れてくるように思います。
私は大人になるにつれて、できることが増え自由度が増してきたせいか、子供の頃おもちゃをプレゼントしてもらったときに実はそれに匹敵するステータスを持ち合わせた人に“なった”快感やそれを使って新しい遊びができるように“なった”『快感を欲していたこと』に気づいたのです。「持つ(have・get)」の先に「なる(become)」があることに気づいたのです。(※そしてその先に精神的な真善美聖があることに気がついたのです。)
子供の頃のおもちゃは今でも大切に保管していますが、今と昔では持っている意味合いが違うように感じます。
おもちゃがマイホームや高級車(もっと別のものに例えると営業成績)に変わっても同じことがいえるでしょう。
私たちの欲しいモノのほとんどは、そういう人になるための道具、手段であることが多いのです。
たしかに「なる(become)」の視点も手段になることがありますが、長期的に考えたとき「なる(become)」の視点が奥深いものだと感じてもらえるのではないでしょうか。
こういう人でありたい(I wont to be…)と考えていれば目的を見失わないで方向性を保ち続けることができるでしょう。
大切なのはその言葉の持つ関係性
もし目標という言葉の使い方に疑問をもってもらえたなら、目的はどのような快感を得ることだろうか?―これは快感を得るための手段ではないだろうか?(I get sense of…)と自分自身に質問を投げかけてみてください。
もし目標をたてるときに悩んでいるのなら「死んだとき葬儀の席で息子に何と言って欲しいか」と考えて「なる」という視点を身につけていただきたいと思います。(My son said ”Father was…)
「目標」というのは単なる言葉です。
重要なのは言葉そのものではなく、その言葉の表現している関係性です。
自分がもっている印象だけで表面的に言葉を捉えるのではなく、目標という言葉の関係性を考えながら意味を汲み取ってほしいと思います。