何のために生きているのか~人生の価値とは~

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生まれてきたばかりの人間の赤ちゃん

生きることの意味、人生の価値とは

「なんのために生きているのか」という問いに多くの人がぶつかります。

  • 「なぜ私たちは生きているのか?」
  • 「生きる意味、人生の目的とはなにか?」
  • 「私は生きる価値がある人間なのだろうか?」

その答えが見つからないまま、ただ時間が過ぎていくのを感じ絶望を大きくしてしまう人もたくさんいらっしゃることでしょう。

それに対して私は確信をもってこう言い切ります。

私たち人間の生きる最高目的は天命を自覚し生を全うすることです。なぜなら私たち人間は価値を追求することで外在的な森羅万象に影響を与えながら内在的にも独特の世界を実現することができるからです」と。

自分で言っていても難しい表現なので順を追って説明していきましょう。

森羅万象の関係性

重要なのは言葉の持つ関係性(外在的な存在価値)

まず、私たちは一人ひとり外在的な森羅万象に影響を与えているということを認識していただきたいと思います。

例えば“人間”を“言葉”に置き換えて考えてみてください。

“言葉”には一つ一つに存在する意味・目的があります。

その証拠に、辞書を開いてみると「ある一つの言葉」を説明するために「他の多くの言葉」が使われているのがわかると思います。主要な言葉が一つでも無くなると他の言葉の関係性が連鎖的に絶たれていき存在する意味・目的が薄れていってしまうのです。

熊本城

例えば「忍者」という言葉を考えてみてください。「忍者」とは「忍術を使ってスパイ活動などをする者」のことです。(岩波国語辞典 参照)

私たちは忍者を実際には見たことがないにもかかわらず、伝承などによりどのような存在なのか知っています。

その甲斐あって忍者は現代においても大きな価値をもたらしています。

お金としての価値に換算することは難しいですが、「忍者」は当時の雇主だけでなく、現代のアトラクションや漫画にも多大な価値をもたらしていることを理解していただけることでしょう。

もし「スパイ活動」や「忍術」、「者」といった言葉が無くなったら「忍者」という言葉の価値も薄れてしまうでしょう。もしかすると忍者というものを認識することができなくなってしまうかもしれません。

だから“ある言葉”は“他の言葉”を補完するために存在する価値があるのです。

おそらく私たちは成長の過程で言葉の関係性を感じ取ることができなければ言語を話せるよようにならないでしょう。

この“言葉”の例と同じように、人間一人ひとりもたくさんの人や物事と関係性を持っていることがわかっていただけると思います。

「私」は、地球にとって「生命体」であり動物にとって「人間」であり親にとって「息子」であり弟にとって「兄」であり友達にとって「友達」でありあなたにとって「著者」であります。

これらの関係性によって私という存在は何らかの価値を見出しているのです。

(「言葉」との関係性でいえば、人間は言葉の存在価値を失わせないためにも生きていると考えることができます。もし人間がいなくなったら「言葉」は存在価値を失ってしまうでしょう。他国の言語を習得するために膨大なお金をかける人がいることからも人間がいる限り「言葉」には物凄い存在価値があることを理解していただけると思います。)

蜜をとるミツバチ

現に人間は食物連鎖や因果応報の素晴らしさを知っています。

例えば、ミツバチが絶滅すると私たち人間は生きてはいけません。

また、中国のとある山奥ででチョウチョが羽根をパタパタするとアメリカでハリケーンが発生することもわかっています。

それほど強い関係性を私たち一人ひとりも持っているのです。

だからこそ、まずあなたも多くの人や事象を補完するために生きていることを理解していただきたいと思います。

どんなにあなたが孤独を感じていようともあなたがいなくなると生きる意味の一部を失い悲しむ人たちが必ず出てくるのです。

これが人間に存在意義があるといった一つ目の理由、外在的な存在価値です。あなたは誰かの(または何かの)富であり、計り知れない影響力を宇宙に放っているのです。

自分の胸に手をやる女性

自ら人生に価値を付加する(内在的な存在価値)

次に内在的な存在価値を知ってほしいと思います。

これは「すべきことのために存在している」という見方になります。

もう一度「言葉」の存在意義について考えてください。

他の言葉との関係性のほかにも、言葉には人間のコミュニケーションの手段として存在意義があることが容易に理解していただけると思います。

その存在意義があるのは言葉を使用する人間の願望が音(声)や光(文字)に意味を持たせたからです。

音や光というものは厳密にいえば振動でしかありません。

そうやって量子力学的に考えたとき、私たちの肉体もただの振動でしかないことがわかってきます。

(人間を構成しているのは精神と肉体です。物理的に考えると電気信号や細胞と言い換えることができます。それらをもっと小さい単位で考えていくと素粒子ということになります。そして、この世にあるものは十数種類の素粒子とその振動パターンでしかないと考えられています。)

つまり人間の願望が言葉に意味を持たせたのと同様に肉体という素粒子とその振動の集合体にも自らの意思で価値を付加することができるのです。(他人から価値を付加してもらうこともできますが、それを選ぶかどうかもあなた次第です。)

難しい表現だと感じる人がいるかもしれないので追って例を挙げておきます。

織田信長像

例えば、日本を代表する戦国武将の一人、織田信長は天下不武を掲げ乱世を終わらせるべく日本を統一しようと邁進した人物として広く伝えられています。

今となっては豊臣秀吉の日本統一の足掛かりとして織田信長には多大な存在価値があったと多くの人たちが認めていることでしょう。

織田信長が自らの人生目的を自分で決めたからこそ、この歴史的事実は生まれたのです。彼は外的な存在価値を自らの意思によって創り出したのです。

そう考えてみるとあなたの周りにも「私は○○のために生まれてきた」と公言する人がいるのではないでしょうか。

美しい価値を持つ蓮

例えあなたの遺伝子を抽出して全く同じ細胞を持つクローンを創り出したとしてもあなたと同じ存在意義を持った人間を創り出すことは不可能です。

なぜならあなたのなかには誠実、高潔、喜び、勇気、信念、自信、鼓舞、好意など人格的な要素が脈々と形成されているからです。

同じ時を生きている人はいません。

遺伝子レベルで同じ一卵性双生児が両親から同じように育てられても全く違った存在になるように、一瞬一瞬の経験が違うだけで人間は同じ人にはならないのです。

織田信長のように自らの道を自ら定め、自ら精神を磨くことで肉塊の存在域を超えて存在価値を高めることができるのです。

これが先に述べた内在的な存在価値です。

もし自分の存在意義に疑問を持ったのなら、自分自身に生きる意味を付加すればよいのです。―――そうすることであなたはそのような人になることができるのです。

目標を持ってください。

ハートが6つ

この世に存在する6つの価値

さてここで価値を追求することについて言及していきたいと思います。

「なんのために生きているのか」と問われたら価値について考えることになるからです。

「なんのために生きているのか」という質問は「どんな存在価値があるのか」と同等の質問ということができるでしょう。

価値について考えると、私たちが生きているこの世界には大きく大別して真・善・美・聖・健・富という6つの価値があることがわかってきます。

ハートが散らばる世界

精神活動を支える3つの目的価値

まず真・善・美という精神的価値があります。

人間の心は知・情・意の3つにわけることができます。

知とは、知識や知恵のことです。

情とは、感情や情熱のことです。

意とは、意志や信念のことです。

私たちの心はこの三つのバランスをとることで完成されています。

この知・意・情という精神活動は「広い意味での学問」・「芸術」・「道徳」という肉体活動と相互に高まっていきます。(※「広い意味での学問」というのは、単に机の上の勉強だけでなく様々な体験を通して得られるもの全体を指します。)

この知・情・意を追い求める精神とそれを表現した学問・道徳・芸術に真・善・美という価値が宿ります。

全ての人たちがこの三つの価値を求めて生きているといっても過言ではありません。

感動する映画や美しい絵画、名著などは時代を超えても尚値打ちが上がっていることからもご納得いただけるのではないでしょうか。

聖という価値が創出される一場面

価値を追い求めることで見えてくる新境地

価値を追い求めていると新たに「聖」という価値が生まれます。

聖は宗教的な価値を指します。

どのような形であれ価値を追い求めていると必ずやこの領域に触れることになります。

真・善・美を追求していくことで自ら天命を自覚するようになる人が多いのも事実です。

聖を感じさせる光芒

例えば運動選手や芸術家、数学者、哲学者などその道を極めた偉人たちがやたらと神を語るようになるのを聞いたことがないでしょうか?

  • ある有名なギタリストは「スポットライトを浴びると自分に神が舞い降りてくる」と語っています。
  • ある有名な野球選手は試合後のお立ち台で「あの球は神様に投げさせられた一球でした」とか「野球の神様が舞い降りてきました」と答えます。
  • ある有名な格闘家は、その強さゆえに「神の子」などと呼ばれます。

一つの道を追求することで神を感じるに至ったという偉人はこの他にもたくさんいます。

これが聖という価値でしょう。

彼らは自ら未来を作り上げながらも、そこに神様の意思や運命といったものを見出すようになっているのです。

知・情・意を追求する精神活動こそが天命を自覚する足掛かりになるのです。

筋肉の付き具合をチェックする女性

物理的活動に現れる2つの手段価値

すると精神的な価値を追い求めるために健という価値が手段として表れます。

知・情・意の精神活動を学問と道徳と芸術という形で具現化するためには肉体が必要になります。

肉体が無ければ精神という名の電気信号がどんなに輝きを放っても「目に見えている世界」に価値を付与することはできません。

そのためにあなたの肉体は必要不可欠であり、可能な限り生き続けなければならないのです。

そしてどんな状況であってもパフォーマンスを向上させるために少しでも健やかな身体を築く努力をする必要があるのです。

これが健という価値です。

肉体には、精神活動の効果を外部に波及させるため、そして精神活動を高めるためという内外相互に必要とされる価値があるのです。

だから私たちの肉体は「生きている」のです。

だからこそこの項の冒頭で述べた、天命を自分で選び、そのことを強く自覚し、表現するために生きることこそ私たち人間の生きる目的なのだと言えるのです。

選んだ道が何であれ、そこには価値が創出されるものなのです。

宇宙に存在する物すべてに富という価値が宿る

最後に富という価値がありますが、これは上記で述べた「関係性」について考えていただければ幸いです。

この地上にあるものは友達でも机でもお金でも時間でも何であれあなたを表現するために活用される富ということになるのです。

何をどのように活用するかは個々人の考え方にゆだねられていますが、どんなものにも富という価値が宿っているのです。―――内面を磨くことであなたも誰かの富として輝きを放つことができるでしょう。

ここに真・善・美・聖・健・富という6つの価値が出そろいましたが、納得していただけましたでしょうか。

あなたの人生の価値を裏付ける偉人たちの言葉

現代日本実業界の祖、渋沢栄一は名著「論語と算盤」のなかで次のように言っています。

「人間が世の中に生き働いているのは天命である。草木には草木の天命あり、鳥獣には鳥獣の天命がある。この天命がすなわち天の配剤となって顕われ、同じ人問のうちには、酒を売る者があったり、餅を売ったりする者があったりするのである。天命にはいかなる聖人賢者とても、必ず服従を余儀なくせられるもので、堯といえども吾が子の丹朱をして帝位を継がしむること能わず、舜といえどもまた太子の商均をして位に即かしむるわけには行かなかったのである。これ皆、天命のしからしむるところで、人力のいかんともすべからざるところである。草木はどうしても草木で終らねばならぬもので、鳥獣になろうとしてなり得られるものではない。鳥獣とてもまたいかになろうとしたからとても、草木にはなり得られぬものである。畢竟(ひっきょう)みな天命である。これによって稽(かんが)えてみても、人間は天命に従って行動せねばならぬものであることがすこぶる明かになる。」

アウシュビッツ収容で生き延びた人たちを研究したビクター・フランクル博士は次のように言っています。

「すべての人は、人生のおける独自の仕事あるいはミッション(使命)を持っている。その点において、だれもその人の代わりになることはできない。そして自分の人生を繰り返すこともできない。したがって、すべての人に与えられている使命とそれを実施する機会は、その人独自のものである」

「終局において、人は人生の意味はなんであるかを問うべきではない。むしろ自分が人生に問われていると理解すべきである。一言でいえば、すべての人は人生に問われているのだ。自分の人生の責任を引き受けることによってしか、その問いに答えることはできない」

長尾剛氏が宮本武蔵の五輪の書を基に著した「宮本武蔵が語る『五輪書』」には次のような一文があります。

「武士は『出家のため』に戦うのである。『我が家名を上げるため』に戦うのである。で、この場合の『家』とは、何か。『家』とは、生命あるものにとって最も大切な『血のつながり』である。人どうしが支えあって生きるための『基本的なグループ』である。愛するものどうしの絆である。戦いによってそれを守り、育む存在。それが武士というわけだ。」

日本の武士たちは生まれてからずっと天命を意識しながら育ったのです。

“全人教育”を打ち出した小原邦芳先生は著書「教育の根本問題としての宗教」のなかでこういっています。

「人生の目的は真の自己本性の発展、真我の発揮、第一義の生活であると、私はここに断定する」

文豪ゲーテは言いました。

「人間は修行するために存在する―――彼が達成できるもののためではなく、彼の中に達成されるもののために存在する」

さらに、このコメニウスの残した次の言葉からも同様の本質が見てとることができるでしょう。

「人生の最高目的は天国に入り神の世界に永久の幸福を受くることである」

そしてキリスト教を重んじた西洋では、人それぞれに神から与えられた“天職”があると古来より信じられてきました。

偉人たちによって残されたこれらの言葉から価値とは何たるかを汲み取ってほしいと思います。

仏様に手を合わせる男性

「死ぬために生まれてくる」は間違い

「私は何のために生きているのだろうか」と自問自答し自分の存在価値を見いだせなくなってしまう人がいます。

「どうせ人間、いつかは死ぬのだから。こんなに苦しい思いを続けるくらいなら自殺した方がマシだ」などという思考パターンに陥ってしまう人もいるほどです。

たしかに人は死ぬために生まれてきたと考えてしまうのも無理はありません。死に価値を見出すこともできるかもしれません。

私たち人間は「おぎゃー」と産まれたその日から死に向かって歩き出していることは紛れもない事実です。このため、死ぬために生まれてきたようにも一見思えてしまいます。

しかしながらこれは「何のために生まれてきたのか」という問いの答えにはなりえません。

なぜなら生と死は、ただの言葉で、一対の関係性を表したものだからです。

おもちゃで遊ぶ赤ちゃんと微笑むお母さん

例えばプラスチックのおもちゃの立場になって考えてみてください。

おもちゃだっていずれは捨てられチリと化す時がくるでしょう。精神が宿っているかどうかは定かではないので「死ぬ」という表現が適切かどうかはわかりませんが、おもちゃが焼却炉で焼かれるのは人間が埋葬される末路に似ています。

しかしながらおもちゃだって捨てられるために作られたわけではないことがわかるはずです。

おもちゃ職人たちは人を喜ばせるためにおもちゃを作ったのではないでしょうか。少なくとも壊すことを真の目的として作ってはいないでしょう。

たしかに捨てられたりリサイクルされたりすることは一つの運命かもしれませんが、捨てられること自体を存在意義とするのはおかしいとあなたにも理解していただけることでしょう。


もしここまでの説明でわからないことがあるとしたら、なぜ多くの人たちが映画「トイストーリー3」に心打たれたのか考えてみてください。

それはおもちゃたちが必死にアンディ(持ち主)のために価値を見出そうとし、自分たちの居場所を取り戻すために奮闘するからです。

ウッディもバズも、例え飽きられたとしても捨てられたとしても自殺なんて選択肢は選ばないからです。そこには価値があるのです。

この映画のおもちゃたちは人間と同じように自由な「心」を宿しています。

人間は自由だからこそ神様にもできないとされる自殺という選択肢を選ぶことができます。しかしながら逆に言えば自由だからこそ生きて自らに価値を付与する必要性も発生してしまうのです。

少々わかりにくい表現が続いたのでここに言いたいことをまとめさせていただきます。

私たちが生きる理由、まとめ

私たちはすべきことのために存在しています。

あなたはそれを理解するためにこれまで生きてきたのです。

まず使命を理解するために生き、自覚した後、天命を存分に発揮するために生きることを知る必要があるのです。

使命を見つける旅は終わりません(知)。

あらゆるものに興味を示し(情)、これだと決めた道を心の底から信じるべきです(意)。

そして使命を達成するために身体を強くし(健)、使命を達成するために富を築くのです(富)。

そうすれば神があなたを認め、あなた自身も神を認めることができるでしょう(聖)。

そのとき「生きていてよかった」ときっと思えるはずです。

たとえ今健康状態が悪くても富を持っていなくても、あなたはあなたの使命を探し出すことができます。そうすることで真の健康、真の富が巡ってくることでしょう。

まず自分を顧み、知識を求め、使命(目標)を定めましょう。

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